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家平隧道
コンクリ巻
銘板
以下に資料から抜粋して掲載します。
※参考文献;平成10年内海村発行「内海村50周年記念誌・時成る国、内海」
家串と平碆の両区間は直線距離で僅か400メートルという近さだが、
通称うねの松という急坂を登らなければ往来ができなかった。
昭和27年ごろから度々トンネル工事の陳情を県に対してしたが、
あまり経済的効果の期待が持てないということで、県の事業として
中々取り上げられなかったが、「村の事業として穴を抜いたら
何とか補助のことも考えよう」との言質を引き出した。
豊後水道側 坑口
トンネルによって利益を受けるのは家串・平碆の両地区だけなので、
実際の費用は両地区がほとんど負担。地区所有の林を売ったり
農協から借金をするなど、まさに血の出るような苦労で
工事に着工したのが昭和27年6月、費用を切り詰めるため
地元民も毎日穴掘りに協力し、苦労を重ねた結果、昭和31年7月に開通。
無事故かつ
地区民だけで作り上げたトンネルとして完成した。
昭和38年に復員拡張工事をし、大型自動車が通れるようになり、
平成8年には歩道トンネルが完成し、現在にいたっている。
豊後水道側 歩道隧道
区長死すとも、隧道工事本体では無事故だったのです。
ただ、工事期間中の区長が2期連続で2名死亡しているので、
全く因縁めいたものがない!・・・とは言い辛いかも。
さて、歩道トンネルが車道のトンネルより長いのは、
山の低い位置を通し勾配を緩やかにしているからでした。
線形を考え、近代的に造られた素晴らしい歩道トンネル、
その隣に、地元民の手で造り上げられたという、
文化的な価値がある隧道のある景色。どうか末永く。
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