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コンクリ巻+吹付け

高知市内側を望む
今回もほっかむりと一緒に訪問。

私が桂浜の闘犬を見に行こうと言って
一緒に高知まで来ていたのですが、
闘犬場へ行く前にトンネル数本へ寄り道・・・
寄り道のせいで闘犬が終わっていました・・・。

ほっかむりご立腹。闘犬キーホルダーと
名物アイスクリンでご機嫌を取りましたとさ。

太平洋側 坑口
こちらからの方が歪な形。
素掘りの雰囲気を強く残しているので楽しめました。

今は防波堤で海が見えませんが、土佐十三絵図によると、
海に突き出した巨大な一枚岩に刳り貫かれているようです。

昭和10年以前の竣工なのは地形図の表記により確定、
孕周りの道が開通した大正11年の竣工と推測されます。

実測してきた延長は18.2m、幅員4.2mで高さ3m制限。

太平洋側 旧道
現在はマンションの立ち並ぶ住宅街。

高知市内側の旧道が工業地帯だったのとは
違う形の開発を受けていますが、
往時の面影が消えたことに違いはないでしょう。

海を隠す防波堤
高さ3mはあろうかという防波堤。さすが台風銀座。
しかし、台風などが直撃して海が荒れた日には、
この巨大防波堤も越える大波がくるそうです。

更には、日本書記に記述がある日本最古の津波記録はココ。
「高知市街の入口なる浦戸港の北方を孕(はらみ)という。
距離六、七町の小海峡をなす。白鳳大変の時、大浪南方より打寄せ、
この山脈を蹴破りて小海峡をなせしが、当時その打欠ぎたる山の一部をば、
なお浦勢にて北に押流し、孕より二十丁程北方に坐らしめたり。
これ今日の比島なり。」とのことで、時は飛鳥時代後期の白鳳期。
wikipediaの日本の地震カテゴリに載っていました。

太平洋側 アプローチ道分岐点
宇津野トンネルすぐの場所に出てきました。

こちらの線形は旧道に対しての方が
スムーズになっているようです。

もうちょっと引いて撮った方が、
分かりやすかったようです・・・失敗。

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