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熊井隧道
煉瓦巻+石積み
造形美
所々煉瓦が抜かれているのは水抜きです。
また、坑門の煉瓦はイギリス積みになっていました。
この隧道は、とても印象が良かったので
いつかまた訪問したいと思っています。
北側 扁額
惜しいことに、写真がブレていますが、、
右書きで
「人代天工」
と書かれています。
天に代わって人が工した。でしょうか?
当時の人の意気込みが伝わってきました。
隧道は、市野々川に水力発電所を建設することとなった頃に、
水管を通すには断面不足と判断されて新道に立場を譲ります。
新道の開削は昭和14年。
明治38年の開削から、時に34年後のことでした。
北側 旧道
桜咲く時期に訪れたのも正解だったかも。
隧道の脇に、現役の生産会社があったので
旧道が閉鎖される事も無いでしょうし、
今後も隧道は大切にされていくと思います。
ここまでの道は、手入れが行き届いた桜並木の九十九折れで、
オフ車で走るツーリング的には、最高の道筋でした。
桜並木の九十九折れ
実は、隧道の北側は旧道ではなく、もう一つ古い旧々道なのです。
この
地図内の赤線(バス路線)
に注目。
赤線の入った路線が、この隧道のある街道と取って変わった
新道(当時は県道と呼ばれていた)ものだったのです。
旧々道から旧道へ
ここがその旧道と旧々道の交差点。
現在は、伊与嬉川(伊与木側)を巻いていた県道(旧道)に、
大規模な橋梁を架けた現在の国道が確立されました。
熊井隧道のある
中村街道
→バス路線が通る
県道
→
現国道
という変遷を得た歴史のある道なのです。
そして、奥に見える青い鋼鉄橋が現国道です。
北側 アプローチ道分岐点
高速道路のように徐々に合流しつつ、
伊与木川を豪快に渡る橋梁の北側に出ました。
最後に、旧中村街道にある三本の煉瓦隧道には、
全てに漢文調の扁額が残されているのを紹介します。
この熊井隧道には、
「人代天工」
、
南にある逢坂隧道が
「開明之利澤」
、
そして、北の樫迫隧道に
「遠運通利」
でした。
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