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日浦通洞
煉瓦巻+石積み+素掘り
日浦通洞
通洞は標高765mの地点にあります。
手前の橋は基礎こそ鉄骨のガーターですが、
歩み板が全て腐っている為に渡ることができません。
欄干なんて全部ボキ折れているし・・・。
我ながら自分はかなり無鉄砲な方だと思うのですが、
釘が全て抜けた腐った板を渡る気にはなりませんでした。
ちなみに通洞の入口は金網で閉鎖されています。
坑口 近景
明治41年(1908年)東延斜坑底から日浦谷へ向けて掘削し、
明治44年(1911年)に開通した多目的通洞で全長2,020m。
第三通洞と内部を繋げることで銅山峰の南北を結び、
鉱石の搬出はもちろん、物流に大きく活躍しました。
また、内部には端出場水力発電所の用水路も併設されています。
※H.19 12.16追記
欄干が撤去
され、手前にもフェンスができたそうです。
(画像提供:とっぽ作さん ありがとうござました。)
当時の写真
大正13年(1924年)には筏津坑との間に索道が架設され
筏津・余慶・積善坑の鉱石をここに集約、一括して
鉱車に積み込んで東平へ運び出す効率化が図られています。
また、昭和13年(1938年)から運転された「かご電車」とは
鉱車を網で囲った簡易な物で、村民の足として大活躍しました。
この写真は通洞の前に説明文と共に掲示されている
坑道を支える坑木か燃料となる木材を運んでいる様子です。
以前の様子
とっぽ作さんから通洞の古い写真を頂きました。
私が訪問した時には欄干が倒れていましたが、
それらが辛うじて健在だった頃の貴重な写真です。
当時は坑口前のガーター橋もしっかりしており、
歩いて対岸に訪問することが可能でした。
感謝
この画像は日浦通洞を間近で捉えているという、
今となっては撮影不能となった貴重な写真です。
坑口真上に鉱山神社が残されていることも分かり、
坑門にも鉱山らしい意匠が残されていました。
鉱石のみならず、籠電車によって住民も運んだ
生活路として利用された鉱山トンネルの姿です。
とっぽ作さん、貴重な画像をありがとうございました。
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