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一宝鉱山
酸化マンガン・二酸化マンガン・炭酸マンガン
地図
開坑は明治末期
(詳細不明)と伝わっている
標高の低い山に掘られたマンガン鉱山です。
山の斜面を覆うようにズリ山が広がっていました。
四国のマンガン鉱山は、その数は多かったものの
山から土讃線に繋がる専用軌道まで持っていた
石原満奄鉱山以外は小さいものが多いようです。
一宝鉱山は仏像構造線の北側に分布している
上部古生層のチャート中にある層状鉱床とのこと。
現地
あまりにも民家と学校を縫うように歩くので
道程の詳細な写真は割愛させて頂きます。
鉱山跡には、後年に林道が開設されており、
その傍らに
6kg/mレールが一本
落ちていました。
レールを見かけたのはこの場所のコレだけであり、
設備の規模は比較的小さかったことが伺えます。
ズリ山
昭和12年には
大栄鉱山
と呼ばれていましたが、
昭和24年4月に桑正鰍ェ買取り、一宝鉱山へと
改称しました。(愛媛県採掘権利登録第233号)
採掘されたのは石英を含んだ低品位な炭酸マンガンで、
これを培焼炉2基で培焼してから出荷されています。
ズリ山にはマンガン分解物で覆われて
真っ黒になったズリ石が散乱していました。
坑口へ
ズリ山で鉱物をいくつか採取した後、
坑口があったであろう場所を探索します。
塩ビパイプから湧水と思われる水が出ていたので、
このパイプを追って行けば坑口に繋がるだろうと
薮漕ぎをしながら探索しました。
資料によると、この付近に
西古市坑
があったはずです。
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