高知県吾川村にある、巨大なビラスターを持つ不思議な大渡隧道。
これを考察をしてみる特別企画です。


 昭和7年竣工、近代土木遺産や土佐の名建築に指定されている独特な大渡隧道。
上部に山が無い。
過剰な装飾と言えるほどの造り。

など、謎の多い大渡隧道について、情報フォームより貴重な情報を頂きました。

 その内容は、情報提供者さん自らが地元の方に聞いたところ、昔は隧道の上部に水力発電所の施設、水を流す管が通っていたということです。

 このことは、切り通した方が早いのにわざわざ隧道とした事の理由にならないでしょうか?

 

 これは昭和51年頃の空中写真です。丸で囲んでいる部分が大渡隧道となります。

 この様子から、地元民の情報どおり水力発電所の管が通っていることが分かります。また、上部の丸くて内側が暗い部分は貯水槽と思われます。

この頃はまだ大渡ダムは完成していません。

参考リンク先はこちら。

 

 昭和61年に、大渡ダムが完成します。

 

 次に、平成10年に撮影された空中写真を見てみましょう。この写真によると、隧道上部にあったはずの管が消失、貯水槽も撤去されていることが分かります。丸で囲んだ部分がそうです。貯水槽の跡が丸くなっていて分かりやすいかと思います。

 ダムも完成していますね。新たな貯水槽は丸の左下に見えています。詳しい写真は下のリンク先を参考にしてください。また、水力発電所自体が、写真の下方に移動している事も分かりました。

参考リンク先はこちら。

 

 上記のことから、切り通しにしなかったのは、四国電力の構造物が複数あった為と考えました。

 そこで、H.16 3月に再び現地を訪問し、構造物の跡を重点的にチェックしました。

 写真は現役の発電所です。ダムの下流、すぐの場所にありました。旧発電所の隣と言ってもいいくらい近い場所です。

 

 隧道の上によじ登ってみるといきなり四国電力の看板が!予想通り。

 ストレートな看板が立っていましたね。この看板を見る限り、構造物の大半は撤去されても敷地は四電が管理している事が分かります。

 

 ここは隧道の直上です。四電さんすいません、進入しました。

 意外なことに導水管は一本しか見当たりません。しかし、きっちり三本分のスペースが確保されています。他の二本は擁壁の上を橋を掛けるように通っていたと思われます。

 また、隧道はこれらの構造物により、切り通しが難しくなっている為、設置されたと思われます。

 

 ところで、これが穴の内部。(笑)
 進入は頑丈な門とロックにより不可能です。っていうか、四電の敷地内でこれ以上やってたら怒られますね、確実に。

 ちなみにこの管は、コンクリートで出来ています。今頃の管には金属が用いられているので、やはり古いものなのでしょう。記念にペタペタ触っておきました。(笑)

 

 上記の場所より更に山を登り、貯水槽があったと思われる地点に到達しました。

 写真の通りタンクは撤去されており、敷地のみが柵により他の部分から隔てられていました。

 桜が咲いていて、しばし和みました。草刈など、最低限の管理はされているようです。

 

 これは、現在使われている発電所の貯水槽です。管は国道33号線が通っている為でしょうか、埋設されているようです。

 大渡隧道から本当にすぐ近くにあります。ダムや国道の影響でここに移動したと思われます。もしかすると、古いのは耐用年数も過ぎていたのかもしれませんね。

 

  

 最後になりましたが、左は情報提供者さんから頂いた、貴重な当時の地図です。

 ダムはまだ建設されておらず、大渡隧道が現役のR33として描かれております。

 このことから、隧道手前に橋がかかり現在の線形になったのは、ダム工事にあわせてのものと考えられます。
   
 情報提供者様ありがとうございました。頂いた情報が無ければ調査の完結は出来ませんでした。

(H.16 4/25追記)
 最近手に入れた昭和42年のミリオン道路地図にも大渡隧道が現役として書かれていました。

 

 次に、堅牢そうな壁柱の理由ですが、隧道上部に水力発電用の水圧管が通っていた事は上記にて判明しました。その水圧管のアンカーブロックは、隧道の真上に位置しています。このアンカーブロックは、水圧管の重量を支えるだけでなく、発電所の負荷変動やタービンの破損が起きた時に衝撃をモロに受けることになるので、その衝撃荷重を吸収するべく太い壁柱が設計されたようです。

 最後に、アールデコ調のゴージャスな造りの理由です。この隧道の完成した昭和初期は、装飾に意趣を凝らした隧道を全国各地で見ることができます。ただでさえ、暗いイメージを持たれやすい隧道は、その設計者たちが如何に親しまれるかを考え、創意工夫の元に完成させていました。

 昭和初期は、コンクリートという材料が、それまでの煉瓦に変わって登場し始めた頃であり、新素材を用いていかに斬新な設計をするか、更に一大工事であったトンネル事業なので、妥協を許さず、誇りを持って施工されたことが想像に難くありません。
例を挙げると、
徳島県 猪ノ峠隧道 S.5年竣工
滋賀県 谷坂隧道 S.10竣工
滋賀県 湖北隧道 S.9年竣工
山梨県 笹子隧道 S.12年竣工
福岡県 櫨ヶ峠隧道 S.6年竣工
などの装飾が素晴らしいことが知られています。
参考:旧道倶樂部・廃道をゆく2(イカロス出版)

 そして、隧道完成の数十年後にダムが建設される事となり、隧道手前に橋がかかり、上部構造物も移設され、特異な形をした隧道のまま旧道化されて現在に至っています。 (終) ブラウザで戻ってください。