[HOME]豊予要塞 佐田岬
大東亜戦争時に完成した要塞

揚弾機の残骸
一つ目の弾薬庫と違って、後から見つけた弾薬庫の
エレベーターは土砂が流れ込んで埋没していました。

そばには当時の擁壁が一部残っています。

据えられていた砲は戦局に寄与していなかったので
昭和19年(1944)10月に米軍の本土上陸に備える為、
鹿児島県の志布志湾へ配置転換されました。

後年はまさに張子の虎、兵器の無い要塞だったようです。

怪しげな掘割
現在までの調査で分かっているのはここまでですが、
もう2基15cm砲台が在ったはずです。発見は今後の課題。
(この場所よりも海岸側の断崖にあるようです。)

更に砲と弾薬庫の他にもう一つ重要な施設の存在があるはず!
それは測距儀を据え付けていたであろう弾着観測所です。
測距儀とは、砲の照準を合わすのに不可欠な設備で、
これで狙いを定めないと当てずっぽうの砲撃となってしまいます。

実戦では一撃必中を望まねば自らの破壊を招きました。
日本軍が1発撃てば、米軍は15万発くらい撃ち返してきます。

あっさり発見
それは初めに潜った縦穴のそばに在ります。

入口は斜面に隠されるように存在しており、
階段横の壁には当時の迷彩塗装が残っていました。

戦後、民家に払い下げされた時期があるので
木製の敷居が残っていたり木材が散乱しているため、
内部に入る際には釘を踏み抜かない靴が必要です。

※平成年間になってから、ここで不幸な事故が起きたので
自称霊媒体質の方やスポット巡りでの訪問は控えて下さい。

内部
暗いので懐中電灯は必須。

測距儀が据え付けられていた基礎も残っており、
内部は四つの部屋に仕切られていました。

宇和海へ向いた覗き窓には鉄製の枠が残っており、
防弾ガラスが嵌め込まれていたと思われます。

他にも、電線や蛍光灯器具や電球の残骸など
照明設備の痕跡もありますが民家時代の物でした。

佐田岬キャンプ場
第一砲台を後にし、遊歩道を少し行くとキャンプ場。

このキャンプ場には発電施設と司令部などの再利用で
夏場に売店として利用されている場所が発電施設遺構です。

他にも給水所(タンク)や砲台官舎、
病舎がバンガローの位置に設置されていました。
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