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豊予要塞 佐田岬半島
道の無い山奥に隠れた名戦跡!
砲座跡(東側の東)
四つの内、一つだけ水が入っていない砲座跡が。
この円の直径は6m、現在の深さは1.5mほどですが、
落ち葉や土砂で内部が埋まっているので
本来はもう少し深い物だと思われました。
砲座跡(西側の西)
砲座跡は二群に分かれており、
砲座跡二基、砲側庫一基が各々となっていました。
昭和2年12月に兵器本廠長より陸軍大臣へ、
第二砲台に7年式30cm短榴弾砲4門据付完了と報告され、
この場所が要塞として機能し始めたことが分かります。
その際、砲の試射を行って民家の窓ガラスが割れる
被害が出ているので、発砲はこの時だけでした。
砲測庫内部(西側)
この場所から更に西へ進むと井戸の痕跡があり、
建物の基礎らしきも伺える広場が存在しています。
その場所が兵舎だったと思われるのですが、
現在は落ち葉に埋もれた井戸が寂しく残るのみでした。
通路
とても状態が良いので、近代遺産として整備されて
一般公開される日が来ることを祈っています。
第二砲台の要塞砲は昭和9年(1934)2月に
兵術の変遷に伴って撤去されました。
射角は、山頂の観測所データを得た榴弾砲が
山なりの射線で山越え射撃することで確保したそうです。
砲座跡(西側の東)
第二砲台から遅れること10年、第一砲台の砲が
昭和19年に撤去されて鹿児島志布志湾へと移されました。
その後、大東亜戦争中の昭和20年に穹窖砲台の設置で
佐田岬要塞としての機能は、一度復活をしています。
しかし、この要塞復活も敗戦直前のことであり、
戦争に使用されることはなく終戦を迎えています。
佐田岬要塞4に続く・・・
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