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伊予鉄道橋梁
煉瓦巻
地図
伊予鉄道横河原線に存在するアンダーパス。
近代土木遺産に指定されており、
正式名称は第26号橋梁とのこと。
東側 坑口
伊予鉄道は明治21年10月に、
日本で初めて軌間762mmを採用した軽便鉄道として開通しました。
現在は松山市の市街地全域をカバーする路面電車や、
松山観光港方面への高浜線、東温市へ向かう横河原線、
そして伊予市に向かう郡中線の郊外電車を持っています。
煉瓦
手前の擁壁もきっちりと組まれた石積みで、
笠石・帯石・迫石が組み込まれている本格的な構造です。
伊予鉄道の記念すべき最初の開業区間は三津〜松山間で
交通環境の悪かった松山と、港のある三津を結ぶことで
予想以上の営業成績を上げることが出来たそうです。
擁壁部分
擁壁部がイギリス積み、アーチ部が長手積みの基本通りですが、
珍しくその境となる部分に石製の帯石が挟まれています。
明治28年、伊予市と松山市を結ぶ郡中線に南予鉄道という会社が
明治29年には、道後温泉と松山市の中心となる一番町を結ぶ
道後鉄道という会社が設立され、松山で3社もの軽便鉄道会社が
存在して鉄道ネットワークが広がっていくことになりました。
繋ぎの部分
小ささと交通量の多い市内にあることが災いして、
車が擦って行った跡が全体に付いています。
明治33年、松山の軽便鉄道3社が合併して伊予鉄道になります。
その後、高浜線となった場所に愛媛電気鉄道がライバルとして台頭、
伊予鉄は対抗上、1,067mmへの改軌と電化を進めることとなりました。
愛媛電気鉄道の高浜線は松山観光港へ、
伊予鉄の三津線は三津浜港に繋いでいたので
「三津VS高浜」の港と航路の争いが大きく絡んでいたようです。
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