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煉瓦巻+素掘り

内部
擁壁にはコンクリが施工されていますが、
一部に剥落が見られ下の煉瓦が覗いている場所があります。

お陰でコンクリが塗られる前の下地が見え、
昔は全面が煉瓦で巻かれているのが確認できました。

また、蛍光灯が狭い間隔で並んでいて内部は明るめです。

素掘り開始
中心部に近づくと素掘りに。

掘削は丁寧に施工されたようで、
滑らかな表面にコンクリが吹付けられ安定しています。

お決まりの落書きは素掘り部分に集中していました。
STOP落書き!本当にやめてください。

内部より 神山町側を望む
丁寧な素掘りに対して一変、煉瓦の積方は欠陥!
煉瓦の継ぎ目と継ぎ目(目地)が一本の線となって
長く繋がってしまったクソ目地と呼ばれる部分があります。
クソ目地とは煉瓦の積み方の悪い例の代表格です。

なぜかというと、クソ目地は地震や風化に弱いと言われ、
現地でもやはり目地に沿って壁に亀裂が入っていました。

崩落の前兆とも言われている煉瓦の白化も全面に見られ、
閉鎖の一番の理由は「危険」なのかと思われます。

神山町側 坑口
こちらはコンクリで綺麗に改修済み。

閉鎖前に既に限界を超していたのでしょうか?
扁額が残っていないのは残念に思いました。

隧道データを下記に。
大正2年竣工
小学校令が公布された年。

延長220m、幅員3m、高さ4.3m。

閉鎖の予告
皮肉にも、隧道の開通記念碑の傍らに
閉鎖の予告看板が設置されていました。

なんとも悲しい取り合わせに思います・・・。
もう二度と内部を伺うことは適わないのでしょうか。

記念碑
全てを訳すことはできませんが、
読み取れた内容は以下の通りです。

当初予定では掘割の部分を長く取り、隧道は最小限の長さで納めるつもり
だったが予想よりも山肌が脆く、土砂や岩を除いても、除いてもすぐに
埋まってしまう状態が続いた。その為、資金繰に詰まり工期が長引くも、
何とか資金を調達し、隧道の延長を予定より長くすることで崩落地帯を
乗り越えることができた。完成した後は文化や産業の交流に貢献した・・・。

他にも詳しく、当時の村長や有志の苦労話が刻まれています。
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