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大久保隧道
鉄板巻
東側を望む
隧道のデータを下記に。
明治38年竣工
日露戦争終戦、ポーツマス条約が締結された年。
完成から
100年以上!
だとは驚かされました。
延長53m、幅員3.3m、高さ3.2m。
明治の地形図にもちゃんと記載されているそうです。
東側 旧道
東側の坑口
写真をリンクしておきます。
坑口東側のガードレールは作り直されたようで、
西側のように車道時代の名残は残されていませんでした。
東側 アプローチ道分岐点
新道の大久保トンネルは昭和45年竣工
国産初の人工衛星「おおすみ」打上げ成功の年。
延長71m、幅員6.5m(車道部6m)、高さ3.4m。
新トンネルでさえ1970年竣工の約40年選手!
それを考えてみれば、旧隧道が百年選手でも
特段の不思議では無いのかも知れません。
謎の橋脚
隧道の脇を流れる那賀川内に残されているこの橋脚、
隧道から150mほど西側に残されています。
この辺りに林鉄や鉱山があった情報は無く一体何の橋脚だろう??
阿南者さんから情報を頂きました!
ここから少し西に行った場所に掛かっている鎌瀬橋の旧橋だそうです。
軽四が精一杯の狭い橋が掛かっていたのですが、新橋ができた後、
橋脚を残して撤去されてこのような姿になったそうです。
新しい鎌瀬橋は道の駅のそばに掛かっています。
対岸クローズアップ
拡大してみると、車道時代のガードレールの残骸が見えました。
橋台の上から車が落ちないようにガードレールで
バリケードが設けられているようです。
阿南者さん、情報ありがとうございました。
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