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瞽女ヶ峠
瞽女トンネル(コンクリ巻)旧道
喜々津への分岐点
峠へ向かう道と、喜々津という佐田岬半島の
付け根にある集落への道が分岐していました。
この交差点は、
白看板
・
旧青看板
・
青看板
と、
三世代の案内標識が共存しているスポットです。
由来
瞽女とは「三味線を弾き唄を歌うなどして銭を乞う盲の女・
めくらごぜ」と広辞苑にて紹介されています。
なんとも暗澹たる名前が付けられている峠ですが、
四国各地に残る平家伝説の一つから来ていました。
伝説によると、平家谷に落ち延びた平氏一門が、
源氏の追っ手を油断させ欺く為に、盲人である瞽女を
谷への入口へ当たる峠に配置、動向を探らせたとのこと。
平家伝説
周辺には、その伝説を裏付けるかのように、
瞽女ヶ峠・平家谷・両家・枇杷谷・鼓尾という
いわくありげな地名が残されていました。
盲人だと勘が鋭いので、源氏の斥候が変装していても
見破れると考えられた。との地域伝承の弁に感心。
道端には県道改修?の
大きな記念碑
も見られます。
藩政時代の道
峠へ向かっていると
藩政時代の道
も出現!
国道から見れば旧々道ということになりますが、
「萱が深くてもう歩けん。元々兎道のような場所じゃって
越えるのには二時間くらいかかりよった。」と地元人。
冬枯れしていて雪の無い時期でないと厳しそうです。
美しい石垣
が残されてはいますが、昭和になるまで
この道しか手が無かったという苦労が偲ばれました・・・。
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