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法華津峠
法華津隧道群旧道
成谷林道分岐点
最近開設された俵津へと抜ける成谷林道との分岐にある
峠の看板
は旧型標識の著名地点とは違う珍しい形でした。
ネットで法華津峠の名前の由来を調べてみると、
この地方の豪族だった人物の名が法華津と判明。
法華津氏は海賊家業にも手を染めていたようで、
港や島嶼部に所領を持つなどして影響力を保ちつつ
戦国時代にこの地方の領主として君臨していました。
この人物、天台宗とも関係があったようなので
法華津という名は宗教から貰った姓なのかもしれません。
林道起点
林道の起点に立てられている看板に注目。
「隧道」の文字が「隋道」
と間違えられている!?
隧道と隋道を間違えている個人HPはよくあるのですが、
官公署が立てた看板で間違えているのは珍しいかも。
以前、TNLprojectさんからBBSに
間違えられた銘板
を
投稿して頂いたときと同じくらいの衝撃を受けました。
峠の堀割
法華津峠
(標高436m)に到着。
荒々しく掘り割られた山肌が出迎えてくれますが、
写真のように南から見ると開放的な感じがしました。
ところで、この法華津峠には愛媛県で最古の交通事故の
記録が残されています。出展は「吉田新報」という古い新聞。
北側 旧道
吉田新報の法華津峠であったこの事故の報道は
現在、愛媛県で発見(現存)されている県内最古の
交通事故に関する報道ではないかと言われています。
肝心の日付は大正4年4月25日であり、その内容は
「宇和島の馬車一台、立間の境にて、二間ばかりの
ガケ下に墜落、乗客七名のうち、二名重傷を負う。
負傷者はいずれも宇和、本多田あたりの者、
原因は馬の腹帯が切れるためなり。」
とあり、
この時代の交通機関であった乗合馬車が事故をしたようです。
(※2間=約3.6m けが人が少ないのにも納得? )
北側 アプローチ道分岐点
この峠に初めて車両が通れるようになったのは
明治23年の改修工事で造られた馬車道完成からです。
紹介した旧道は、それから更に改良を重ねた物ですが、
結局はトンネルによる現道の前に引退を余儀なくされました。
その新道こと現国道56号線と旧道の
合流地点
には
法華津峠を案内
する看板が
今尚掲げられています。
↑ 平成20年度中に撤去されました。
時には物思いに馳せながら旧道を巡るのもいかがでしょう?
風情を感じ、隧道の有難味を肌で感じられるかもしれません。
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