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堀切峠
堀切トンネル(コンクリ巻)旧道
境目峠へ
峠は平成の大合併まで行政界だったこともあり、
今は無き
新宮村の白看板
が残されていました。
また峠と同時に、この場所で山の尾根同士が交差しており、
稜線を伝う道路と川之江へ下る道の交差点にもなっています。
稜線を伝う道路の方は、先述の境目峠へ至る道であり、
古くから遍路道として存在しており現在も活躍中でした。
川之江へ
今回は堀切峠が目的だったので素直に川之江へと進みます。
道中に見られる
独特な石垣
は緑泥片岩を用いた
四国独特の往復積という積み方のようです。
ところで、堀切峠(ほりきり)という名前の由来は
峠を掘り割ったことから来ているという単純な理由でした。
現在も冬季には氷結して通行不能となるそうです。
お小屋倉跡
土佐の大名(山内一豊も)が参勤交代の際に休憩した小屋が
ここより1.4kmほど山中にあり、その建材を収めていた蔵の跡地。
この地は旅籠屋「島屋」の跡地でもあり、その土台の石垣は
土佐の石工が宿賃の代わりに施工した(修繕した?)と云われます。
実際に、太平洋岸に残る石積みの技法と同じものであった為、
伝記の信憑性は高かったそうですが、今は消失してしまいました。
(※兼山流鼠面積という石積みだったそうです。訳分からん。。)
北側 アプローチ道分岐点
トンネル一発で抜けてきた県道に合流。
参勤交代→明治の馬車道→旧県道→現県道、
そして高速道路へと堀切峠が迎えた歴史に感嘆。
旧青看板
ここでは現在の県道を横断する形で旧道が続いており、
少し奥まった場所に旧青看板が残されていました。
(※
青看板の拡大
はこちら。)
第65番札所の三角寺や、境目峠との旧官道が残る限り
堀切峠もまた脈々と存在し続けることと思います。
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