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煉瓦巻

ここからはおまけ
千賀居隧道より大洲市側に夜昼峠の切通しがあります。

ここは見事な石積みで形成されており、
復員も普通車同士の離合が可能なレベルでした。

傍らには道祖神となる地蔵も奉られています。

大洲市側の峠道
峠の道中には幾つか白看板も残されていました。

この場所には、一見したところ何もありませんが
左側に立っている2本の支柱が気になったので停止、
支柱の足元にポッカリと開いている暗渠の中に・・・。

よく見れば、暗渠は峠にあった石積みと同じ石で、
同じような積み方をされて造られています。

ありゃま・・・
支柱から外れた白看板が落ちていました。

某サイトさんにて白看板が落ちていたと報告したら
そんなものは見たことが無いと反応があったので、
落下して撤去されていないのは珍しいようです。

ちなみに看板は大洲市の案内でした。

救出すべく深さ約2mの暗渠に降りて頑張りましたが
土砂に埋まっているのと足元が悪いため動かせず・・・
泣く泣く断念してそのままにしておきました。

八幡浜市側の峠道
隧道直上にある大洲市の次に現れる白看板。

民家に程近い九十九折れの途中に残されており、
道中で唯一の案内箇所が二箇所ある白看板です。

現在、三崎町は合併して伊方町となり消えてしまいましたが、
九州へのフェリーが出ていた三崎と八幡浜が選ばれたようです。

レポの最後に
レポートの途中にも書いたフェリー会社の看板。

大洲市側の峠道にある二軒の廃屋に貼られており、
九州四国を結ぶフェリーを案内しています・・・が、
農協は兎も角、電話番号がえらいことになっています。

もちろん、現在は昭和46年(1971)に完成した
新トンネルこと夜昼隧道(2141m)があるので
峠越で九四フェリーに乗る人はいません・・・。

看板を見ているとなんだか懐かしい感じがしました。
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