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立石隧道再訪編 (中村トンネル)
コンクリ巻+素掘り
観察
これが建てられたのは昭和23年7月。
農耕用か牛車用の牛だとしたら、
昭和20年代なのも下記に符合しています。
急速なモータリゼーションがおこったのは
昭和30年〜40年代でしたので、それまでは
農耕牛も馬も珍しい物ではありませんでした。
南側 坑口
馬蹄形で坑門付近のみコンクリ覆工されているのは
大正時代後期から昭和前期の施工を想像させます。
(※隧道の覆工などにコンクリートが用いられ初めたのは、
大正後期から昭和初期。それまでは石や煉瓦でした。)
他所の実地調査の結果と、自身の経験からそう思うだけで
確定ではありませんが、大きく外していることもないはず。
県庁に問い合わせる予定なので暫くお待ちください。
※返答がきたので隧道データなどを追加しました。※
坑門付近
徒歩で進入。
今回は二人。複数だとそれぞれの視点で
内部を仔細に観察できるのが最大のメリット。
隧道のスペックを下記に。
延長は三木町内(町道立石東線)が43.6m、
牟礼町内(町道平木線)が76.1m、合わせて
119.7m
、
幅員3.0〜4.1m、高さ3.2〜3.5mです。
竣工年は両町と香川県に資料がなく不明とのことでした。
内部
※追記:明治以前の竣工という資料が見つかりました。
坑口のコンクリートは後世の改良による物のようです。α星さん多謝。
←フラッシュを焚いて写しても暗い内部に
見慣れない人が心霊!心霊!と騒ぐ気持ちも分かります。
しかし、隧道巡りをしている我々変人からすれば、
ノミ槌でここまでやるかとか、工法はどうだっただろうとか
建築物の造形に目を取られて霊の話など何処へやら。。
ところで、あなたは素掘り派?煉瓦(石)派?
私はどちらも好きですが、煉瓦(石)派です。
これか!?
存在の噂は以前から聞いていたけど、
前回発見できなかった燭台(複数)を発見。
二人というメリットが早速発揮されます。
しかし、同時に疑問も・・・。
隧道内部は吹き抜ける風が強いので、蝋燭消えるのでは?
よくよく見れば自然の地層とノミ槌を入れる場所の関係で
偶然、燭台のような平場ができているだけのようです。
写真では非常に分かりにくいので説得力に欠けますが。。
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