HOME以布利隧道
素掘り
中心部 
狭い内部ですが、中心部には広がりを持たされています。
実はこのトンネル、大日本帝国海軍の手で掘られたものであり、
魚雷艇を装備する第8特攻戦隊第21突撃隊が利用していました。

中心部が広がっているのは資材を置いていた為でしょうか?
これらのことから、掘削された時期は終戦頃と分かります。
突撃隊の配置が昭和20年(1945)7月に発令済みと
なっているので隧道の完成もこの頃であったのでしょう。

南側を望む 
このような場所に戦争遺跡が残されているとは。。。
第21突撃隊は宿毛から土佐清水までを担当しており、
宿毛には大きな海軍基地の遺構が現存しています。

現地の方にお話を伺うと、空襲時には住民が防空壕として
利用することも許可されていた基地用の通路だったそうです。
また、付近には魚雷艇が納められていた壕が複数残っており、
海岸線どころか、国道沿いにも壕の一つが残されていました。

南側は住宅街 
このも戦争当時から作られていたそうです。
水槽に思えますが、雨水か湧水を貯めていたのでしょうか?
こちら側は住宅街の真ん中を突っ切るような場所で
地形の改変が進んでおり、一通り歩いてみても
これといった軍の遺構は見つけられませんでした。
※↓追記↓※
戦争遺跡じゃないかも・・・。戦争遺跡を調べている方が
地元の方に聞いた所、軍は無関係との回答だったそうです。

南側 坑口 
こちらも豪快な素掘りです。

国道の以布利トンネルが昭和40年(1965)完成なので、
昭和20年頃(1945)に完成した隧道は約20年も先輩。

敗戦後は名実共に普通の道路として活躍しました。

南側 遠景 
第21突撃隊が装備した魚雷艇は震洋という特攻兵器です。
モーターボートの船主に爆弾を装備して敵艦船に突撃する
必死兵器でしたが、幸いここでは未使用で終戦を迎えました。

以布利や越浦の海岸には多数の壕が残されており、
多くの魚雷艇が存在したのかと思われるのですが、
資材不足により定数が揃えられたことは無かったようです。

他にも特殊潜航艇や回天なども揃える予定があったとか。
真珠湾にも参戦した特殊潜航艇、人間魚雷の回天と、
どちらも小型潜水艦であり、回天は特攻兵器でした。

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