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逢坂隧道(初代)
煉瓦巻
路面
だいぶ風化していましたが、
どうやらアスファルト舗装のようです。
もちろん、後年施工されたものでしょうが、
ここが重要路線だった証拠になっています。
両側には幅約10cmの排水溝が設けられています。
四万十市側 坑口
大変!ちょっと痛んでいます。
こちらは壁面に
クラック
が走りまくりで、
対策しないと次に大地震があったら持ちそうにありません。
先ほどの内部まではほとんど痛みがなかったのに
こちら側は地質的な欠陥でもあるのでしょうか?
四万十市側 扁額
隧道のデータを下記に。
明治29年竣工
この年、第1回近代オリンピックがアテネで開催されました。
延長71.3m、幅員4.2m、高さ約4.5m。
四万十市側 旧道
未舗装だったのでしょうか?
廃道化が進み樹木が育ってしまっています。
ほっかむりと一緒に来ていたし、
廃道アタックをするつもりはなかったので撤退。
反対側の現道からのアプローチ分岐点は、
現トンネルから数百mほど南側にある農道です。
当時のまま未舗装の砂利道とのこと。
P1
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