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上ノ加江隧道
コンクリ巻+素掘り
閉塞部
南側は、コンクリ巻されている部分が終わる位置で
木製フェンスにより厳重に閉鎖されていました。
そのすぐ先には
550cc
の懐かしい
軽四
が遺棄されており、
蛍光灯が用いられた照明設備の痕跡と併せて時代を感じます。
写真はフェンスにへばりついて撮影したものです。
蹴破れば別ですが、ここからは内部に進めないので
一旦現道に戻って反対側からのアタックとしました。
北側 アプローチ道分岐点
現トンネルこと、笹場トンネル(150m)は昭和52年竣工。
二車線歩道付き&照明付きの昭和の量産型、
面白みはありませんが、機能重視の優秀な設計でしょう。
こちらのアプローチも現トンネル坑口脇から伸びていました。
旧道沿いには、JAの作業場や現役の炭小屋があり、
南側の旧道で見た不法投棄もなく走りやすい雰囲気です。
北側 坑口
隧道の手前は荒れているので徒歩かバイクが無難。
こちらの坑口にも高さ制限バーの残骸が残っており、
廃隧道独特の雰囲気造に一役買っていました。
雨の日の探索というのはデジカメにもよくないし、
隧道内部が結露して撮影にも支障が出るので
あまり好きにはなれません。咄嗟遭遇故に致し方なし。
扁額
現トンネルの名称は
「笹場」
ですが、
旧隧道は
「上ノ加江」
だと判明しました。
隧道データは下記の通り
大正13年竣工 甲子園球場が完成した年です。
延長146.5m、幅員3.6m、高さ4.5m。
馬蹄形が示唆する通り、やはり大正時代の完成でした。
北側 内部
100mを超える素掘り隧道!しかも完成は大正時代…
当時にして、大型車の通行も可能な造りに驚かされます。
中央部は素掘り
のまま残されており、
蛍光灯器具が架線ごと落下していました。
この隧道の供用期間は、完成年から
約53年間
であり、
昭和52年までこの隧道が現役だったようです。
北側を望む
隧道北側内部は、くるぶしの辺りまで水没しており、
長靴か轍の無い部分を歩く必要があります。
静かな空間ですが、この水溜りに落ちる
水滴の音だけは消えることがありませんでした。
P1
P2
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CGI-design