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中マンプ
煉瓦巻
振り返る
この広場の一角に中マンプが口を開けています。
ここはかつて支線が集合する場所だったようで
四方から石垣と路盤跡がこの広場に向かっていました。
ちなみに、右端に写っている車道は
後世になってから整備されたものです。
西側 坑口
見事な石組みで形成されたポータル。
建築は昭和13年ごろと予想され、
確実に組まれた坑門は現在でも綻んでいません。
住友グループの住友別子鉱業所の手によって
惜しみない技術と資金が投じられたのでしょう。
内部
内部のアーチは全て煉瓦で組まれていました。
残念ながらフェンスで塞がれているため
内部に入ることはできませんでした。
路床は後年、少し嵩上げされています。
現在、内部は倉庫代わりに使用されていました。
迂回路
マンプ(隧道、間歩、マンポとも)の内部は
通り抜けできませんが、迂回路があります。
この迂回路、元々は鉱山軌道の支線が通っていたようで
燃料庫か貯水槽のような物が残されていました。
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