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煉瓦巻

地図
別子銅山は、日本最大の銅鉱山として繁栄し、
明治26年には端出場(はでば)〜惣開(そうびらき)間に
軌間762mmの鉄道が開通、銅鉱石の運搬が行われるようになりました。

別子鉱山鉄道「下部鉄道跡」は、今でも市販の道路地図に
点線標記(ほんの一部だけ)されていることがあります。

県道187号線沿い 軌道跡
軌道は払い下げられたのでしょうか?畑になっています。
しかし、車道との境となる柱には住友鉱山の看板が…。

これって不法占有というやつでは?あいたたた。。
枕木やバラスを勝手に除けて山積みしてあるので
あえて触れましたが、昨今言われているモラルの低下は
今に始まったことではないですね…。

年に開通された区間
軌道跡を安全に歩く予定でしたが、仕方なしに坑水路の上を歩きます。
この坑水路には、凸凹の付いた蓋をして上を歩けないようにしています。

もともと人が歩く物ではないし、痛むと補修費用が掛かるので
人が歩かないように対策をしているのでしょうが、
農作物の不法な栽培により、蓋の上しか歩けません。

しかも畝の配置を見ると、耕作者も水路蓋を通路にしているようです。
どうしようもない困ったさん・・・愚痴はここまで。

瀬戸内海側 坑口
イギリス積みで施された煉瓦積みの素晴らしい隧道。

開通当初はここにトンネルはなく、
尾根を切り通しで開通させていました。
現在の市道が路盤を引き継いでいるようです。

15‰という勾配のキツイ難所となっており、
登りきれずに車輌が立ち往生することが多発したので
効率化と安全対策として後年に隧道が掘られました。

トンネルの延長は110m、完成は明治37年。

内部
機関車の煤煙で煉瓦が煤けていました。

下部鉄道は、クラウス型蒸気機関車をドイツから購入し開通。
後にディーゼル機関車を導入しましたが、
戦後の燃料事情の悪化や更なる効率化の為、
昭和28年に電化されています。

当時使われたクラウス蒸気機関車の1号機は
「別子銅山記念館」に静態保存されているとのこと。
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