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物言嶽隧道
煉瓦巻
別子鉱山側 坑口
甲子園球場のようなたたずまい!
鉱山専用線から地方鉄道に変遷した下部鉄道も、
次第にバス路線に押され経営が悪化、
昭和30年に再び専用線となっています。
昭和47年に鉱山が閉山となりましたが、
鉄道は坑内採石の運搬業務で存続していました。
しかし、昭和51年9月に台風災害を受け、
復旧不可能と判断されて昭和52年に遂に廃止されます。
車屋隧道へ
まだまだ注目の遺構が多いので、
このまま別子鉱山方向にレポートは続きます。
車屋隧道編
につづく・・・
おまけ
隧道で怪しげな二人組みがメジャーやスケールを広げて計測。
計測結果は、延長24.5m、幅3.1m、高さ3.8mでした。
しげしゅさん協力ありがとう。
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