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銅鉱山(含銅硫化鉄鉱)
左洞内部 
進むこと約30m、長靴ギリギリの水深に加え、
坑道の狭さは奥へ行くほど狭くなっています。

アンチモニーを採掘していた横道鉱山ですが、
元々は藩政時代に大洲藩直営により稼行され、
明治21年(1888)川端熊助が開発に着手、同24年(1891)
大阪の藤田組の手に移り月産10tの出鉱を得ました。

途中崩落 
その後、明治28年(1895)坂田組に経営が移り、
同33年(1900)に一旦休山となっています。
しかし大正元年、松山市の宮田氏が採鉱に着手、
出水の為放棄、大阪の一色氏が買取って石油燃料の
蒸気機関にて排水、続いて松山の久保田氏が100馬力
発動機を用いて排水し、盛んに採掘が行われました。

左洞には小崩落が2ヶ所ありますが、乗り越えられます。

行き止まり 
3つ目の小崩落が認められた直後に終点、
坑口からは約50mの地点でした。

この崩落は新しいようで、土が酸化していない為
剥離面と崩土の色が鮮やかな黄色をしています。

古い面はこげ茶色と白い結晶なので差が一目瞭然、
芸予地震(2001年)の影響なら最近の崩落?・・・撤退!

縦穴 
左洞には三箇所縦坑が存在していました。
出水の為、一度放棄されている記録のとおり
二箇所は水没しているので探索不能です。

残りの一箇所に水は見えませんでしたが、
しかし・・・この狭さじゃ入れません。。
そして地底から更に地底へ降りられるほど
三人とも無謀な神経ではありませんでした。

上方への分岐 
そして!上方向への縦穴もあります。上なら行ける。

上方向への穴は二箇所。
一つは取り付くことができませんでしたが、
もう一つはYU-PAさんが登っていきました。
探索は任せろとのことなので私は別の穴へ移動。

この鉱山は、最盛期には従業員が100人も居ましたが、
経営者がコロコロと変わりすぎていることから
総出鉱量はハッキリしていないそうです。
昭和16年(1941)には、昭和鉱業鰍ノ買収され、
終戦を迎えた昭和20年(1945)に休山しました。

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