[HOME]芸予要塞 大久野島
日露戦争時に造られた要塞
大東亜戦争時に造られた毒ガス工場

二階より
現在も、この島で働いた人たちの中には毒ガス漏出事故による
後遺症で苦しんでいるという声もあるそうです。。

毒ガス資料館に毒ガスについてのパネルが沢山展示されていました。
が・・・その内容は、嘘と事実誤認のまま展示されてしまっています。
中共軍・ソ連軍のガス弾まで日本軍の遺棄弾として表記されていたり、
「国際的に禁じられていた毒ガス生産」との大見出しもありましたが、
当時の『窒息性ガス、毒性ガス又はこれらに類するガス
及び細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書』

「使用」を禁止する条約で「開発」「製造」「貯蔵」は対象外です。

研究所案内看板
更に、日本が条約に批准したのは戦後25年経った昭和45年であり、
東亜戦争当時、毒ガス使用についての違法性はありませんでした。
また、この条約には敵国であったアメリカも批准していません。
日中戦線では、中共軍が先制して化学兵器を使用しています。
非人道的兵器ゆえに、展示には真実を掲載して欲しいものです。

そして戦争直後、ここにデッドストックされていた毒ガスは、
宿毛沖などにアメリカの中古の上陸用舟艇などに載せて運び、
船もろとも海没処分としたそうです。豪快な処分だ・・・。
中和処理もせずに海没させたとは、あんまりな気もしますが現実です。

研究室
ここで作られた毒ガスの名/ 原料/ 症状

イペリット(黄1号)/ 塩酸・エチレン・グリコール(びらん性ガス)
ルイサイト(黄2号)/ 食塩・アセチレン・亜砒酸(びらん性ガス)
青酸ガス(茶1号)/ 青化ソ−ダ・硫酸(窒息性ガス)
ジフェニール(赤1号)/ 亜砒酸・塩酸・青化ソーダ(くしゃみ性ガス)
塩化アセトフエノ(緑1号)/ 酢酸・モノクロール・三塩化リン(催涙ガス)

こういう物は、抑止力であって使用するのは愚の骨頂です。
米軍の行った2度の核攻撃と、肩を並べることなのかも知れません。

うさぎ
この島の兎は、毒ガスの実験動物だったと言われていますが違います。
当時の兎は、戦後食糧難の際に全て食べられました。

後に、広島県のとある小学校が数羽を(無断で)島に放ったところ、
訪れる人がエサをやりまくり、天敵がいないことから数年で
島のキャパシティを越えてウサギの頭数が増えたそうです。

あまりの多さに、この状態で人間がエサを一切やらなくなると、
3分の2以上死ぬのでは?と、いらぬ心配もしてしまいました。

最後に
島の毒ガス施設は、国際的に違法で無かった為、極東軍事裁判
(A分類戦犯:東京裁判)と中国で行われた法廷(B・C分類戦犯)で
毒ガスの使用・開発・製造・貯蔵に関して裁かれた例はありません。

大久野島毒ガス展示施設の説明は、事実誤認の説明が多いとの指摘が
以前からあり、内容の改善や修正が待たれています。
毒ガス弾が見つからなかった場所まで、遺棄していたように展示したり、
他国の毒ガス弾であっても、全て皇軍の物のようにミスリードさせていました。

戦争遺跡で落ち込んだ後は、ウサギと戯れることで
気分をリフレッシュしてから帰りましょう〜。
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