[HOME]芸予要塞 大久野島
日露戦争時に造られた要塞
大東亜戦争時に造られた毒ガス工場

毒ガス貯蔵庫の看板
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ちなみにこの島、現在でも地下水に有害成分混入のおそれから、
飲用は勿論、散水や水洗用にも使用することができません。

海水浴場もあるのですが、島北部の海水浴場で、
海水浴客多数に皮膚のタダレが発生したことがあり、
そのときの調査で薬ビンが複数発見されました。

それ以後、今も北部海水浴場は閉鎖&入水禁止です。

焼け焦げた内壁
火炎放射器は、トーチカや洞窟陣地内の日本兵を焼き殺す為に
使用されました。これも猛烈な火炎を噴出す化学兵器です。

戦後は焼却による消毒(無害化措置)にも用いられました。
毒ガス関連の廃墟は、全てが火炎放射器の高温にさらされた為、
このように壁や床、天井に至るまで煤で真っ黒になっています。

ガス弾の貯蔵庫
小さなトーチカが島のあちらこちらに存在しており、
戦跡の多くは、少しずつ崩落が進んでいるようだったので、
慎重に様子を伺うことにしました。

この穴には、ガス弾を設置した土台が残っており、
壕内を焼却して滅菌した時の煤が張り付いています。

北部砲台跡
ここからはガスからいったん離れ、日露戦争時代の要塞跡です。

弾薬庫などが半地下に設置され、コンクリの厚さも相当な物。
この北部砲台は、島の北側の斜面に隠すように設置されていて、
見つけることは難しいと思われます。さすが要塞。

芝生など手入れがされているので、散策はしやすいけれど、
弾薬庫の多くは半地下という構造の為、水没してしまっています。

トンネル発見
北部砲台隧道と呼ぶ。(勝手に)

この隧道は、耐熱煉瓦の擁壁と、分厚いコンクリートの
アーチで構成され、高さは3mちょっとと低めに造られています。
大型車両の通行は考慮されていなかったと思われました。

トラックなどで資材を運搬するのではなく、
人馬等で曳く台車や、軌道が用いられたようです。

北部隧道内
トンネル内のこんな場所にも弾薬庫が設置されています。

他の弾薬庫に比べると、砲撃にも強そうだし上空からも見難い為、
なにかしら強烈なものが貯蔵されていたのでは?

毒ガス時代の遺構ではないのですが、
後年、毒ガス弾の貯蔵庫にされた可能性を感じました。
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