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須賀公園
慰霊碑と航空機部品
地図
旧瀬戸町役場前に広がる三机湾に須賀公園はあります。
三机湾は、旧海軍の秘密兵器だった特殊潜航艇の
訓練地であり、実戦参加まで苛烈な訓練が行われました。
三机湾が基地に選ばれた理由は、呉海軍工廠から近く、
波静かで舟が少なく機密保持に適すと判断されたからです。
三机漁港
特殊潜航艇とは、海戦時に敵艦を水中から攻撃する
小型の潜水艇で、昭和8年に試作艇が完成しています。
それから実験と改良が進められた後、昭和15年11月15日に
正式な兵器として採用され「甲標的」と命名されました。
甲標的は、艦船(母艦)から発進する方式だったため、
母艦には水上機母艦「千代田」が選ばれています。
武装は45cm魚雷2発、最大速19kt(水中)、定員2名でした。
三机湾内の須賀公園
甲標的の訓練は、三机湾や宿毛湾にて行われました。
三机湾での訓練は、沖合に「千代田」を停泊させ、
甲標的をクレーン船や台船、曳船等を用いて
秘密裏に湾内まで運び入れて行われました。
訓練期間は昭和15年6月から8月に母艦からの発進訓練を
その後、昭和16年3月12日から昭和20年春まで、
6期に渡る部隊が攻撃の訓練を受けています。
須賀公園入り口
昭和16年10月、東亜戦争の開戦により、
甲標的の「真珠湾攻撃」参加が決定します。
機動部隊の航空奇襲攻撃にあわせ、水中からも魚雷で敵の
太平洋艦隊を叩くが、生還の見込みは薄い決死の作戦でした。
伊号潜水艦から発進した甲標的5隻は、見事真珠湾内に侵入し、
最新の研究では敵戦艦の雷撃に成功したと言われています。
甲標的が発射した魚雷の雷跡が写りこんだといわれる
空中からの写真もあり、戦艦数隻を撃沈したとも。
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