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境内には、でっかい鳥獣慰霊碑が建っていました。 凄まじく立派だなと思いましたが、この石の由来が凄い。 何とこの碑、目黒山形関係資料に出てくる物の一つだったようです。
石仏由来 左の鳥獣供養塔は もと目黒若山中腹の 豊岡・富岡部落境界にあった。 この場所に移して七年後の昭和47年 万治元年の古文書が発見されて、 宇和島・吉田両藩の境界論争になる石仏と判明した。 江戸幕府の判決に至った歴史遺産である。 平成6年10月12日(寛文五年幕府判決の日) 石仏建立委員会
石仏と分かってない時に、移動させて文字を掘っちゃったのね。。。 |
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