HOME
桜ヶ峠
桜隧道、土屋隧道
峠
画像右方向からやってきてバイクを止めました。
この場所が桜ヶ峠ですが、新道が左に開通し、
往年の姿はほとんど残されていません。
ただ、寂しそうに
白看板
が
ポツンと残され
ており、
行政界であったことが辛うじて判別できました。
現在では、市町村合併により行政界ですらありません。
白看板
バイクを止めている場所には、かつて茶屋がありました。
この一帯は、終戦後に外地から帰還した人たちが
松林を切り開いて開拓した開拓地でもあり、
大正時代から続く茶屋は一層賑わったそうです。
時代は流れ、馬車交通が終わりバス路線が設置されると
茶屋で休む人も少なくなり、次第に峠も廃れていきました。
旧道へ
新たに改良された道路は、桜ヶ峠トンネル脇へと
スムーズに抜けていますが、本来の道筋は
峠の白看板から西へ山々を縫っていました。
現在もバイク以下なら通り抜けるができるので、
史実に旧道をトレースすることにします。
旧道入口脇
には、オニギリが付いていたらしき
支柱が残されており、恰好の目印となりました。
歴史
古くは天正年間に宇和の豪族、西園寺氏の家来である
兵頭太郎左衛門が、裏切った魚成村の魚成源太を
討つために桜峠を越えたという伝記に始まり、
峠に一軒、更に野村側と城川側に一軒ずつあった
三軒の茶屋には、菓子やうどんが置かれていたこと、
昭和12年に定期自動車が走り出すと同時に
峠の茶屋はその役割を終えたことが分かりました。
低い峠ですが、営みを知ると親近感が感じられます。
最後の白看板
峠を下ると、発酵製品を作る会社の敷地を潜り、
流れるように現在の新国道へと繋がっていました。
古い峠の最後の見所が、画像の白看板でしょう。
峠の100mほど野村側に残されており、
草木に包まれつつある姿を見せてくれます。
また、この看板を過ぎて数百メートルの地点で
倒木と小規模な土砂崩れが道路を塞いでいました。
おまけ
桜峠から土屋隧道方向(看板の近永方向)へ走ると、
土屋隧道のすぐ手前に双津野という集落があります。
そこが戦後の開拓地であり、現在も10軒ほどの
農家が集落を形成していました。
その地から見る景色はパノラマであり、旧野村町の
中心部が展望できます。ぜひ立寄ってみてください。
P1
P2
P3
[編集]
CGI-design