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松山基地
航空機用掩体(掩体壕)など
西側 隧道群
有刺鉄線の設置されたフェンスの向こうで
更に板や鉄の扉を付けられて施錠されています。
これらの隧道掘削は、大変危険を伴うものだったらしく、
全て朝鮮人労務者によって行われたそうです。
この写真の隧道は地震の研究に使用されていました。
さらに垣生山の隧道
複数ある隧道は、奥で何本か繋がっており、
西側は工作所や整備所、南側は兵舎や指揮所に
東側が貯蔵庫で使われたと記録されていました。
西側の壕は現在も開口部が残されています。
南側は、開削とコンクリで塗り固められて消失し、
東側も主なものは戦後すぐに米軍が爆破しています。
隧道 坑口
配電盤があるので一時期使用されていたようですが、
現在は荒れ放題になっていました。
坑口こそコンクリですが、内部は素掘りの物が多いそうです。
また、子供が入って危険なため、入り口を閉鎖したり、
大多数が土砂で埋め戻されたとも伝えられています。
東側 隧道
住宅街の脇の水路を歩いていると発見。
この場所は開発に取り残されたようで
当時の雰囲気が少しだけ残されていました。
ただ、坑口の正面には大量の土砂が詰まれており、
見上げるようにしていないと発見できません。
埋没
場所は埴生山の南東に位置しており、
米軍が爆破した隧道の一つかもしれません。
内部は埋め戻されたのか、崩落したのか
微妙な土砂で完全に閉塞していました。
がんばって覗くと・・・
隙間があるのなら匍匐前進で進入しようかと思いましたが、
1mちょっとの位置で完全に埋もれています。
風の通りも無く、声も響かなかったので
見える範囲以外にも隙間はなさそうでした。
隧道の標準的な大きさは、高さ3.5m、幅4m。
大きな物は奥行51m、小さな物でも20m強あるそうです。
(データは残されている隧道より。いずれも深部は崩落。)
※開坑している防空壕ですが、市街地に近接しているので
事故防止&遺跡保存の観点で写真等を掲載していません。
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