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こちらの掩体壕のサイズは奥行12m、幅22m、高さ5.4m。 343空の紫電改も入っていました。
昭和45年、3月19日には米機動部隊艦載機と343空による 大規模な空中戦が行われ、紫電改54機にてF6Fヘルキャットと F4Uコルセア、SB2Cヘルダイバー合わせて48機を撃墜、 損害は16機+地上で壊された5機の計21機という大戦果を得ます。 が、実際にはこれほどの大勝ではなく、戦後の米軍資料と 突き合わせるとやや優勢程度だったとも言われているようです。 しかし、この頃の日本軍でアメリカとガチで渡り合えた部隊は少なく、 この日の戦闘を境に米機動部隊は松山を避けるようになりました。 |
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