[HOME]松山基地
航空機用掩体(掩体壕)など

市道拡幅で削られた端
当時は鉄が無く、寺の釣鐘まで溶かして兵器にしていました。
ゆえに、このような掩体壕には鉄筋ではなく、
末期には竹筋が用いられることもあったそうです。

しかし、この掩体壕には鉄筋が入っていました。
市道に削られたせいで鉄筋が露出して判明、
削られて良かったのか悪かったのか・・・。

作戦基地の航空機用掩体なので、この周辺で撤去された
他の複数の掩体壕でも鉄筋は入っていたと思われます。

掩体壕1 後部
尾翼の部分は一回り小さくなっています。

掩体壕は爆弾の直撃に耐えるのは無理ですが、
戦闘機の機銃掃射や爆弾の破片には充分に耐えました。

ちなみに、松山のこれらの掩体壕は文化財に指定されておらず、
いつ壊されてもおかしくない状態に陥っております。
平和教育の為、認知されて保存されることを願います。

掩体壕2
こちらは倉庫に転用されていました。

農機具は勿論のこと、鶏小屋が作られて飼われたことも。
戦後、民間に払い下げられて倉庫となったのでしょう。

民地ゆえに立ち入りが躊躇される物件です。

看板
しかし、よく見ると案内の看板が!

ということは見るだけはOKなのでしょうか?

一声掛けてみましたが、誰も居ないので
恐る恐るながら内部も見学させて頂きました。

掩体壕2の内部
内部は尾翼部分が一段狭くなっています。

沢山の農機具が無造作に置いてあり、
泥棒と間違われそうなので早々に外に出ました。

今度、人が居る時に訪問できたら
声を掛けて話を聞いてみたいと思います。

掩体壕2 全景
こちらの掩体壕のサイズは奥行12m、幅22m、高さ5.4m。
343空の紫電改も入っていました。

昭和45年、3月19日には米機動部隊艦載機と343空による
大規模な空中戦が行われ、紫電改54機にてF6Fヘルキャットと
F4Uコルセア、SB2Cヘルダイバー合わせて48機を撃墜、
損害は16機+地上で壊された5機の計21機という大戦果を得ます。
が、実際にはこれほどの大勝ではなく、戦後の米軍資料と
突き合わせるとやや優勢程度だったとも言われているようです。
しかし、この頃の日本軍でアメリカとガチで渡り合えた部隊は少なく、
この日の戦闘を境に米機動部隊は松山を避けるようになりました。
P1 P2 P3 P4
[編集]
CGI-design