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道路隧道、日本最古のコンクリート造

室戸岬側 アプローチ道分岐点
国道に合流。この辺りの交通量は多いものの、
信号機は無いので強引かつスムーズに合流。

訪問するならば、入りやすい室戸岬側から
走ってきて進入するのをお勧めします。

また、阿南市側の分岐点には感知式信号機があり、
国道への合流を楽に行うことができました。

現道のトンネル
現国道55号線は、内妻トンネル253m(S.57竣工)と
古江トンネル144m(S.55竣工)の2本のトンネル、
それに内妻大橋で快適かつ安全に通行できます。

この写真は古江トンネル。
隧道は、大正10年から昭和55年頃まで利用された
ことが分かりました。新道だった期間は60年と考察。

室戸岬側 扁額
室戸岬側の扁額についている銘を確認したところ、
「辛酉夏麟平」と読むことができました。

「辛酉」(しんゆう)は干支の組み合わせの58番目で、
西暦年を60で割って1が余る年が辛酉の年とされます。
まさに竣工した大正10年(1921)は上記の通り!
(※1920÷60で割り切れるので1920に1を足した年が辛酉)

「夏」と言うのは、7月の竣工ゆえ季節のことでしょう。

日本の廃道 オフ会にて
当初、左の二文字は判読不能かと思っていたのですが、
日本の廃道オフ会の際、nagajisさんが望遠で撮影して
くださった写真から「麟平」と書かれているのが判明しました。

折りしも、隧道が完成した大正10年時の徳島県知事が
大津麟平という人物であり、この人物の名とみて間違い
なかろうと思われます。扁額に筆を認めたのでしょう。

これらの情報が、もしや日本最古のコンクリ隧道では??
という調査に繋がっていき、非常に楽しい思い出となりました。

記念碑
また、室戸側の坑口の脇には隧道の完成を祝い、
記念植樹された際の記念碑が残されています。

現在、残念ながら植樹された木は喪失しており、
記念碑も周囲の薮に没してしまっていましたが、
オフ会という機会を利用して薮の刈払いを行い、
碑の側面に書かれた文字を確認してきました。
※請負人 姫野玄二郎  ※大正十年十月建立

扁額の解明と薮の刈払いではnagajisさんより
格別なご助力を頂き感謝、ありがとうございました。

最近の隧道
平成22年7月25日に関西オブローダーズと共に訪問。
関西メンバー
よととさん(くるまみち
ピカさん(またつまらぬ物を撮ってしまった
Yori-yanさん(Jumble Cabin 2nd
おろろんさん、yoshirinさん

四国メンバー
ナキイルカさん(TNL project
アルプさん(アルプ日記
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