HOME大日本帝国海軍 局地戦闘機 紫電改
米軍コードネーム:ジョージ(George)
ガンベルト 
20mm機関砲の薬きょうやガンベルトの構成部品です。

他にも潤滑油タンクや主脚のサスペンション
操縦席内のスイッチ機体構成部品
それに紫電改の特徴である空戦フラップの部品など
本物の展示を多数見られるようになっていました。

経歴 
この機体は昭和53年11月、ダイバーによって愛南町久良湾の
海底40m付近に原形を保ったまま沈んでいるのが発見され、
昭和54年7月14日に引き揚げられました。実に34年ぶりです。

終戦間近に一矢報いるべく編成された海軍第343空は、
各地から生き残りのエースパイロット達を掻き集め、
一堂に会した撃墜王達が新人を指導して大活躍しました。

搭乗員 
操縦者は以下の6名の誰かだと説明板が設置されています。

鴛淵 孝少佐(25歳)・武藤金義中尉(29歳)
初島二郎飛曹長(22歳)・米田伸也飛曹長(21歳)
溝口憲心上飛曹(21歳)・今井進二上飛曹(20歳)

空の宮本武蔵と呼ばれた武藤金義中尉など、
有名な撃墜王ばかりなことに驚かされました。
操縦席からはパイロットの遺骨も回収されています。合掌。

主翼 
フラップの適正角を得られるように自動的に作動する
「自動包括線フラップ」と「層流翼」を採用していたので、
大柄な機体の割りに小さな旋回半径を得ることができました。

この自動包括線フラップこと、自動空戦フラップによって
格闘戦(DogFight)では米機と互角以上の性能を得ています。

操縦席付近 
操縦席を覆う防弾ガラスには視界を邪魔する
格子が沢山入ったものが使用されています。

P-51のようなバブルキャノピーが理想ですが、
当時、日本にそれを造る技術力はあったものの
戦場に向け量産する工業力がありませんでした。

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CGI-design