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 浦戸(高知県)の隧道の件  yoshrin  2011年5月13日(金) 5:39  Mail
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マフラー巻さん。連投になりますが、ご質問させていただきます。

私は高校生の頃、桂浜へいく途中の道路から隧道を見た記憶があります。桂浜へはバスで行ったのですが、海岸沿いの道路を走りますよね。あの道路は1段高くなっていて、北側の民家を見下ろす様な形になってますよね。そこから、隧道が2本見えた記憶があるのです。その当時持っていた
『和楽路屋(わらじや)』の地図にも載っていたんですが。大渡隧道の特集記事で、マフラー巻さんが昭和42年の地図をお持ちだとのことで、確認していただけましたら有難いのですが。場所は、浦戸隧道の西側です。

あ、私が持っていた地図は、そのあたりの拡大図がありましたので、普通のページでは厳しいかとは思います。私用でお使いして申し訳ないのですが、前々から気になってましたので、よろしくお願します。では、また。

   マフ巻  2011年5月13日(金) 8:35 [修正]
ttp://www.mafura-maki.jp/tanbo/kouti/urado/view9.cgi
↑ 一応、この中坂隧道と浦戸トンネルの2本ではないのですよね?

となると、前にも同じような質問を受けたので隧道があったのかも?
しかし、道路地図には掲載されていないことから、
魚雷艇などを格納した戦争遺跡なのでは?と思います。

長さとか、大体の場所は覚えていませんか?

 洞門  なき  2011年5月13日(金) 12:35 [修正]
中坂隧道のすぐ東にある激狭洞門の断面は隧道っぽく、
遠目から見ると、中坂+洞門で隧道2つに見えるかも。

   マフ巻  2011年5月13日(金) 17:13 [修正]
東側なら、その2件でしょうね〜。

   yoshrin  2011年5月14日(土) 5:29  Mail [修正]
場所的には、郵便局の『高知桂浜局』から『太平洋ゴルフクラブ』にかけてのあたりだったと思います。『黒潮ライン』のすぐ北の、細い道に直接ポータルが見えた記憶があります。長さ(あくまでも地図上での話ですが)は浦戸トンネルくらい。マピオンを見てみますと、そのあたりには細い道が何本か南北に描かれていますので、今は開削されたのかもしれません。

ま、『和楽路屋』の地図自体が、『法皇トンネル』の西側に同じ様なトンネルが描かれていたり、結構、ミスがある地図だったのは確かなのですが、

洞門 なきさん。初めまして。そうなんですよ。東側だと、その可能性もあるのですが、西側なんですよ。

マフラー巻さん、いつも、ややこしい質問をしてすみません。では、また。

   マフラー巻き  2011年5月14日(土) 13:36 [修正]
法皇トンネルの横のは、誤植ですが計画線です。
一旦は、あのルートで着工されています。

未成隧道の位置までは、猛烈な廃道になっていて
掘削痕等の存在は確認できていません。しかし、
未成隧道の痕跡が有る可能性が非常に高いです。

←ついでに現法皇隧道とその内部(素掘り)

話は変わって、浦戸周辺は戦争遺跡が有力です。あの一帯は、震洋艇やら伏龍隊も配備されていたので。

   yoshrin  2011年5月15日(日) 4:57  Mail [修正]
ご丁寧なレス、ありがとうございます。
法皇トンネルに別ルートの計画があったとは。あながち誤植でもなかったのですね。
浦戸の方は、戦争遺跡ですか。マフラー巻さんのお話は、いつも勉強になります。
これからも、またよろしくお願いします。

   九朗  2011年5月15日(日) 21:12 [修正]
そういえば、浦戸隧道の東隣に激狭の掘割があるんですが、
あれは開削された隧道だったりしないのかな・・・?

ところで、白看掲示板って落ちたんですか???
青看タイプらしきものを見つけたんですが

   マフラー巻き  2011年5月15日(日) 21:54 [修正]
おお!これは見事な白青看板。窪川町にある物に劣らぬ一品です。

白看板掲示板、しろさんが主宰していたのですが、
書き込みとかエラーが出始めて調子よくないようです・・・。
非常に貴重なデータベースなので頑張って欲しいッス。

浦戸隧道の東側には、洞門以外にも堀割があるんですか!?
それは気がつきませんでした。戦艦榛名から流用した機銃座といい、
震洋艇のレールといい、浦戸も凄まじい場所のようですね。
今後、研究に値する場所かも?四国で再発見するなら最有力です。

対岸ですが、石土隧道の旧隧道もあるような気がするんですよね〜。

 ヨコヤリ  なき  2011年5月20日(金) 0:35 [修正]
南国市にメールを送りこんだところ、石土トンネルは旧隧道を拡幅した
ものである、という返信がありました。
というわけで、石土は旧隧道の痕跡が見つかる可能性は低そうorz

あの旧隧道名が真実ならば、何かしら特徴のある物件だったろうに、
少し残念です。

   マフラー巻き  2011年5月20日(金) 19:47 [修正]
あああ・・・・・・・・・マジですか。
ありがとうございます。気になっていた場所が一つ解決しますた。。。

とはいえ、北側の坑口残ってないかな???
地形図を見ていたらそんな感じが。まぁ、僅かな差だから誤差なんでしょうね。

ある意味スッキリしました。
しかし、凸メールしたってことは、なきさんも気になってたんですね〜。

 旧荷瀧隧道の件  yoshrin  2011年5月8日(日) 1:18  Mail
[修正]
マフラー巻さん、この間はどうもお疲れ様でした。

GW中に『荷瀧隧道』と『大渡隧道』を見に行ってきたのですが、『荷瀧隧道』のことで、少しご質問させていただきます。あのあたりは、現道のトンネルができるまでは行き止まりで、あの薄い隧道は荷滝で滝行のような修行をする人の為につくられたのが、ベースになってるのでしょうか。だとしたら、昔はもっと小さな、人道サイズだったのでしょうか。何となく、山奥の修行場、みたいな雰囲気がありましたので。

『大渡隧道』は、立派すぎる隧道でした。それだけ、地元の人も気合を入れて、作ったんでしょうね。

最後になりましたが、『廃道をゆく3』を読ませていただきました。いつものごとく、物凄く濃い内容の本になってましたね。マフラー巻さんも執筆、お疲れ様でした。これからも、『廃道をゆく』のシリーズが継続できる事をお祈りしております。

私は、隧道を探訪する時の装備が、まだまだ不勉強ですので、もっとちゃんとした装備をする様にしたいと思います。では、またお会いできる事を楽しみにしております。

   マフラー巻き  2011年5月9日(月) 18:45 [修正]
お疲れさまでした〜。レポはマイペースでボツボツやって行きます。

大渡隧道に関しては、
ttp://www.mafura-maki.jp/tanbo/oododamu/oodo.html
↑ ここに造りの理由や、建設の背景を分かるようにしております。
ぜひともお目通しくださいまし。

荷瀧隧道についてですが、確かに修験の地として扱われていたようですね。
とはいえ、当初から人道サイズということはなく、完成時の姿みたいです。

   yoshrin  2011年5月10日(火) 6:59  Mail [修正]
リンク先の記事、読ませて頂きました。上に圧力鉄管が通っていたから、あの立派な造りになったんですね。私も、大渡隧道脇の道を上まで上がってみたのですが、民家がありそうでしたので、引き返してきてしまいました。

それと、オフ会でお訊きした東平のゲートは、凍結時やガケ崩れなどの災害時以外は、いつも開いているという事です。今回初めて、行ったのですが、下の端出場以上に面白いとこでしたので、これからも何度か通ってみたいと思います。しかし、GW中は黄砂がヒドくて、東平からの眺望が悪かったのが残念です。では、また。

 高尾谷隧道など  とよのしん  2011年4月28日(木) 21:05  HP
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はじめまして。
関西で隧道めぐりをしているものです。
高尾谷の県界ですが、残念ながら無いと思います。
・そもそも県界でない(合併前でもなったことはないようです)。
 添付の地図の中央上245という数字の辺りが隧道の場所です。
 その左のほうに縦に町村界がありますが、当時の神川村と五郷村の境界です。
 ちなみに左上の「経河合」の文字の下に例の土場隧道が描かれています。
・現物でもありそうにはありません。隧道自体もそれほど長くないので、
 写真の範囲で大体写っています。

話は変わりますが、先日、四国の隧道めぐりに行き、R194の大森隧道にも
行ってきました。
初代も行きたくて簡単そうな高知側からアプローチしたのですが、旧々道跡に潅木がびっしり植えられていて進入が困難だったためあきらめました。
ところで、高知r12の久木隧道の初代(?)に行ってみたいのですが、Webでも
全然情報が無く、こちらのBBSで以前に話題になっていましたが、詳細が
ありません。どのような場所なのでしょうか??
2代目は現道のそばにあるようなのですが…

最後によければリンクさせてください。
とりとめもない話で申し訳ありません。
では。

   マフラー巻き  2011年4月29日(金) 10:21 [修正]
はじめまして!ありがとうございます。

高尾谷、そもそも行政界が無いって言うパターンですか。
愛媛の俵津も、行政界が元々なかったので期待できそうにありません。
しかし、無いなら無いということでスッキリしたので嬉しいです。

とよのしんさんの行動範囲、素晴らしく広いですね!四国まで!
大森隧道は、歩かないと絶対に行けないのです。
高知側から歩き10分ほどで到達です!是非ぜひ頑張ってみてください。
更にその旧隧道(国道指定は受けてない)もぜひ。こちらは登山並。。

久木隧道の初代をご存じとは、かなりの強者ですね。凄い物件です。
全部言ってもいいのかどうか…アプローチをメールしておきます。
あと、二代目久木隧道は泥が溜まっていて足が抜けなくなります(笑)
これは、初代大森隧道も同じなので入ると後悔するかもしれませぬ。

二代目の位置は、久木トンネルの北側に並んで存在していますが、
一見、川のような地形ですから注意していないと見逃します。
谷間の奥に、古めかしい閉塞隧道が佇んでいるはず。

リンクありがとうございます。こちらからは開通しておきました!

 気になる事だらけ!  ピカ  2011年4月29日(金) 14:43  HP [修正]
とよのしんさん、こんにちは!(はじめまして。でしょうか・汗)
高尾谷隧道の詳細をありがとうございました!
マフ巻きさんの意味深発言で私も気になっておりましたので。

あ!イイコト思いついた〜!!
とよのしんさん、久木隧道、マフ巻きさんに案内してもらいませんか?
関西組の紀伊半島穴ツアーが無事終了し、今度は四国組の番なので!
またみんなで乗り込みますよ!(笑)

しかし、もうすぐ四国がまた近くて遠い島に戻っちゃいますねぇ…orz

 四国オフ  マフラー巻き  2011年4月30日(土) 20:41 [修正]
ピカさん、久木隧道は藪こぎますよ〜。
土砂崩れもあるし、隧道はほにゃららですから半日かかります。

数を取るか、質を取るか・・・久木もいいですが、
愛媛の南予辺りもどうかなと思っています。

まだまだ未定ですが、今から楽しみですね。

   九朗  2011年4月30日(土) 22:09 [修正]
そこで伊尾木林道の隧道群ですよ。
2時間半あれば余裕で周れるので、久木とあわせて
一日どう?
と思ったけど、海まで出ないとこの二つ行き来できないんですよね。

あああ宿提供してえええぇぇ

   なき  2011年5月1日(日) 1:17 [修正]
久木がメインだったら、いっそのこと魚梁瀬林鉄を一泊二日で探s(ry
休みがロクに取れず体力もない私が言うなってか。汗

   ピカ  2011年5月1日(日) 10:56  HP [修正]
あぁ、四国に1週間程滞在したい〜!
おお!九朗さんもなきさんも!
四国は知らないトコだらけなので、何処でも興味津々です。
おそらく、他の関西メンバーも♪

質か量かと問われれば、個人的には量重視であります!(おもに酒的な意味でw)

楽しみにしております!

 第二回 四国オフ  マフラー巻き  2011年5月1日(日) 21:23 [修正]
伊尾木か魚梁瀬なら、質量ともに破壊力抜群ですね。
伊尾木が有力です。しかし、森林鉄道好きに限るという制約も。

三重では、鉄道・道路・水路と見せつけられましたからねぇ。
姉妹水とねじりは、土木遺産プレートが付く日も近いな。

前回の四国では、徳島で日本を代表するような物件に行ったから、
今度は、高知で林鉄の全国代表巡りをするか、香川の石造隧道群か、
愛媛の変態隧道&橋梁(土木遺産)群か・・・悩ましい。

一先ず、実施は9月頃(秋)と考えておきますね。

   よとと  2011年5月3日(火) 15:56 [修正]
おお!四国オフのプランができつつありますね!しかも林鉄!
関西では手軽に行けるのは高野山林鉄跡くらいでしょうか。兵庫の音水や、大台ケ原など手を付けていない場所も結構ありますが。。。

林鉄も大好物!もちろん変態隧道も橋梁も好物です♪
プラン楽しみにしております〜

   山猫  2011年4月7日(木) 18:06
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私のいいかげんなブログをリンクに入れていただきありがとうございます。
先日青滝山山腹の採石場跡地を訪問しました。
非常に立派なホッパー遺構がありました。

   マフラー巻き  2011年4月7日(木) 21:28 [修正]
書き込みありがとうございます。

いいかげんだなんてとんでもない。
気になる所をズバッと突いて、きつい場面もサラリと書いている
その行動力はかっこいいと思いますよ。

画像のホッパーも随分と立派なものですね。しかも古そうです。
資料探しから現地の踏破までいろいろと大変だったとお察しします。

今後とも、よろしくお願いしますね。

 伊尾木界隈いろいろ  九朗  2011年3月24日(木) 8:17
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震災の影響で元請けが動かないので強制的に休暇になりました。
皆さん影響はないですか?

安芸市古井にて。
前にしろさんが言っていたのはこれでせうか?

 伊尾木界隈いろいろ  九朗  2011年3月24日(木) 8:18 [修正]
入河内の上のほうにある枝折隧道。
素掘り+コンクリ巻きでいい感じ。

 伊尾木界隈いろいろ  九朗  2011年3月24日(木) 8:19 [修正]
放置レールかと思いきや犬釘枕木付き。しかも車道化区間。伊尾木マジでタチ悪い・・・・・。と言うか、なぜこれだけ残した!? 発掘オフしない?

これまでの成果
トンネル 8本(障子薮・伊尾木ダム横の穴を含む)
トンネル跡 3箇所
橋梁跡 ほぼ全ての区間にて
レール この10数メートル

奥地に行くと敷かれたままの枕木も残っています。
いずれ東川線のレール残存部並みの軌道が出てくるのではないかと楽しみにしています。

   マフ巻  2011年3月24日(木) 10:39 [修正]
警笛はそれっぽい。状態が良いですな。
枝折隧道、扁額があるんですよね。そんな形なのに。
TNTさんと一度行ったことがあるんですが、気が付きませんでした。

伊尾木、行きたいけど予定がてんこ盛りなので中々・・・。
遠いから一泊付けておきたいしなぁ。

紀伊半島へ行くメールは届いたでしょうか?

 届いた  九朗  2011年3月24日(木) 13:02 [修正]
4月5月は震災で遅れた分の仕事を消化する事になりそうなので無理ポ

   SNAKE  2011年1月21日(金) 18:46  HP
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突然ですけど、壊されてるけど腰部(横の部分)が残っているトンネルの跡には興味ありますか?
林道にあった代物です。

   マフラー巻き  2011年1月21日(金) 20:05 [修正]
もちろん!私のHPは、旧道化や廃止されたり、消滅した隧道がターゲットですから!
ばっちこーい! 林道ならあそこかな??

   SNAKE  2011年1月21日(金) 20:21  HP [修正]
そうです。林道東川線です。
そこまで記載された古地図を持っていないので、軌道と関係があるかは分かりませんが怪しいといえば怪しいので撮っておいたのです。

   SNAKE  2011年1月21日(金) 20:22  HP [修正]
その2

   マフラー巻き  2011年1月21日(金) 20:55 [修正]
ごめん、俺が思ってた「林道の廃隧道」は徳島県だったw
東川線にもありましたか!こんな気付きにくい遺構をよく見つけましたね、流石です。
まだまだ再発見されていない遺構があるはず。若き四国のエースとして期待していますよ。

私も探索する時には、古地図や教育委員会発行の資料を漁ってみます!
この場所のレポート、じっくりと見させていただきます。

   SNAKE  2011年1月21日(金) 21:18  HP [修正]
適当な文のあまり、参考にはなりにくいとは思いますが…。

最後の土砂崩れを越えるには…野宿覚悟ですかねwww
時間が足りなーい!

   九朗  2011年3月9日(水) 20:30 [修正]
これも開削した隧道の痕ですかね??

   マフラー巻き  2011年3月9日(水) 20:34 [修正]
うおお、それっぽいですね。古い地形図と合わせてみたい。
← 歯朶ノ浦クラスの隧道跡地ですね。どこですか?

   九朗  2011年3月9日(水) 20:58 [修正]
伊尾木の一連ガーター橋のすぐ下です。
自分はS32年版の地図を持っていますが、非常に残念な事になっています。
伊尾木いいよー 案内するよ?

   おろろん  2011年2月14日(月) 23:51
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こんばんは。

 旧道倶楽部掲示板只今閉鎖中でした。他に連絡をとる方法はございませんか。ORJに関しては家のパソコンの都合上(家族共有・引落口座は私にあらず)ですので購読できておりません。

  道路橋のねじりについては道路と河川です。よととさんの「くるまみち」の表紙に現物の写真を載せて頂きました。

 コンクリート水路隧道ですが道路(熊野街道明治馬車道か?)に寄添う形で紀勢線が走っています。紀勢線のこの区間(栃原〜川添間)の開通が大正12年9月25日で、道路の築堤はそれ以前から存在していたようです。先に作られた道路下部分と、後付であろう鉄道築堤下部分では明らかにコンクリートの質と打ち方に違いが見られました。また、道路の下は築堤本体でなく、脇の地山を掘りぬいて作られています。少なくとも鉄道の建設が始まる前にはすでにコンクリートで巻かれた状態で存在していた可能性が在ります。

 リベット欄干については13日によととさん、ピカさんと一緒に行った、三重県多気町〜大台町境界の旧深谷橋にて確認しました。「くるまみち」表紙下部の“橋梁の廃景”に出ております。

 道路ねじり  なき  2011年2月15日(火) 12:46 [修正]
ORJ誌をできる限り漁って見ましたが、鉄道以外が上部を通るねじりまんぽ
は琵琶湖疏水、天神津川樋橋、狼川トンネル以外に載ってませんでした。
(※2/16深夜1時前、狼川トンネル追加)
それどころか、2010年08月号における考察では
 鉄道以外の場面で採用されたねじりまんぽは琵琶湖疏水のねじりまんぽ
 しか知られておらず、他にあったとすれば天井川隧道しかなかったと
 思われるが、それが現存しないのは残念なことである (※一部要約)
とありますから、これは本当に大発見かもしれません。
ただし、考察の〆には
 道路トンネルに斜架拱は必要なく、線形変更で対応できた (※一部要約)
とあるので、廃線を再利用した道路などの可能性も考えるべきかも?

↓ネット上に転がっているねじりまんぽを分類してみた↓
・上=鉄道、下=道路 または 下=水路
 ねじりまんぽの殆どが該当
・上=水路、下=鉄道
 狼川トンネル ※廃止物件で坑口以外は埋没
・上=水路、下=道路
 琵琶湖疏水のねじりまんぽ
 天神津川樋橋(ORJ・2010年08月号) ※改修によりねじれ消滅
・上=道路、下=鉄道
 眼鏡橋(下部はえちぜん鉄道)
・上=道路、下=水路
 皇后崎の橋梁(JR九州鹿児島本線付近) ※上部は廃線かも?
 今回新発見の物件

☆参考サイト
ORJ/ニコニコ大百科/宮様の石橋/GNR/くるまみち
※ORJの引用部分、まずかったら消します。汗

   なき  2011年2月15日(火) 13:01 [修正]
ORJ公式サイトの「読者登録ページ」において、nagajisさんへの
問い合わせ用アドレスがさりげなく書かれていますので、
そこに送ってみてはいかがでしょう?

   マフ巻  2011年2月15日(火) 16:00 [修正]
>> おろろんさん
なるほど大正10年前後のコンクリ水路隧道ですか。
水路は大正3年というツワモノがおりますが、それに次ぐ大発見かも?
後は、鉄道建設時に煉瓦や石を覆工する改修が無かったか?と、
当時の設計図面が、どっかから出てこないか…ですね。

私が土木遺産に推薦した隧道達は、今で言う土木アーカイブスに当時の設計図が
紹介されていたので、図面と現地を照らし合わせてから報告しました。
しかし、取っ掛かりとして図面は後回しで写真をメールするのもありかも?
研究が現地情報待ちの状態だったり、資料が研究室にあれば勢いが付くと思います。

>> なきいるかさん
さすがなっきー。天才そして変態(褒め言葉)。
確かに、道路だと橋の前後に緩いカーブを付ければ斜めに積む必要ないですものね。
経済的にもカーブが有利です。しかし、眼鏡橋と皇后崎の橋梁があるようなので、地形的制約が
あれば例外なのかとも。どちらも鉄道絡みなので地形的制約でない可能性の方が大ですが。
私がORJで見て、おぼろげに記憶していたのは琵琶湖でした。見直してみます。

考えるほど、水路と道のネジリマンプ・・・確かに異色中の異色です。
設計師がネジリマンプの原理を知らんかったか(んな訳ない)、
趣味か?廃線じゃなかったら趣味としか思えない。趣味だったら凄いな。

 解読依頼です!  よとと  2011年2月15日(火) 18:53 [修正]
 先生!おろろんさんからネタのあったコンクリアーチの1つです。こちらに扁額がありましたがさっぱり読めません。
 しかも左側に、竣工年度かあるいは揮毫者の名前らしきものも彫られていますが、こっちは文字すらはっきりしませんが。。。
 せめて、揮毫?の3文字の解読がしたいのですが。。。
 よろしくお願いします。

 姉妹水  マフラー巻き  2011年2月15日(火) 19:47 [修正]
読めた!! 水 妹 姉  右から 「姉妹水」 これの旧字体でしょう。
ttp://www013.upp.so-net.ne.jp/santai/santai.htm ←参考
読めたけど姉妹水って何?河川の合流点か、河川と水路の立体交差にあった扁額ですか?

縦書き二列は読めませんね…と言うか見えません。決定的な情報が有ると思うのですが…。

   おろろん  2011年2月15日(火) 22:22 [修正]
こんばんは。様々な情報有難うございます。

先ず、鉄道廃線の可能性については排除してもかまわないと考えます。
この地(佐奈〜栃原)に鉄道が引かれたのが大正12年で、それ以前にこれほどの構造物を必要とする何らかの鉄道が存在したとの情報は聞いた事がありません。
また、この地には明治期に起点が伊勢から松阪に変更された三重県の南北を結ぶ熊野街道が通っており、少し南の神瀬に煉瓦のアーチ橋が存在しており、かなり早くから馬車道化されていたはずです。

水路に関しては存在そのものは素掘りの形で前から在った可能性は高いです。
しかし鉄道建設時に同時改修されたにしては道路側と鉄道側に明らかな工法と仕上げに差が認められ、また境界部分は段差があり、小さめの道路側の坑口により大きな断面の鉄道側のコンクリートを後から付け足したようにも見えます。

橋の竣工年ですが大正14年です。

 姉妹水!?  よとと  2011年2月16日(水) 18:52 [修正]
先生さすがです!ありがとうございます。
橋梁はこんなんです。桁橋タイプと暗渠タイプが横並びに。。。こんなの見たことありません。
この2つが「姉妹」ってことでしょうか。
どっちが先なのか、両方まとめての竣工なのか、全くわかりません。
扁額のでかい写真をメールで送りますね。お暇なときに見てあげて下さい。

   マフ巻  2011年2月17日(木) 9:05 [修正]
なんちゅう奇怪な線形でしょう。。
この先で水路が二手に分かれているのなら、取水か分水施設だったのでしょうね。
取水でも分水施設でも、姉妹で意味がなんとなく通じそうです。

左側だけ、後年に改修を受けているのでしょうが、そもそもなんでこんな形に。。
上部は道路ですよね?昔は、隧道の天端が路盤高だったのかも。

   おろろん  2011年2月19日(土) 23:00 [修正]
「姉妹水でどちらが後に作られたか?」ですが、暗渠部分が後だと思われます。
 よととさんの写真は下流(西)から撮っていますが、左岸(写真右)に旧旧道が残っており、それが暗渠手前で削られて消えています。旧旧道の高さは石組橋台と同じ位置ですので、先に石組橋台が作られ、後年の改良の際に左岸側の岸を削り暗渠を通したと思われます、ならば何故全体を作り変えなかったのかが不思議ですが。
 ちなみに橋台の間も石組です。

 今日、「ねじりまんぽ煉瓦アーチ」を再度見に行きましたが、橋の南側の川に面した道端に「リベット打ち」の手すりを見つけました。しかも手摺(?)の部分は鉄パイプならぬ「鐡棒」でした。コレ貴重?

   おろろん  2011年2月22日(火) 23:59 [修正]
「ねじりまんぽ煉瓦アーチ」の橋名がほぼ断定できました。“姉橋”と呼ぶようです。
 それから「無筋コンクリート製水路隧道」の完成年は大正7〜8年です。大台町史によればこのときに道路改良を行い、暗渠を作り盛り土をして新しい道を完成させたとあります。その後線路を通す為に道を一部変更したとありますので最初は道路用暗渠単独で作られたのは間違いありません。
 ついでながら「姉妹水」も同時期に改修されて出来た物ではないでしょうか?

   マフ巻  2011年2月23日(水) 19:48 [修正]
鐡棒は、その頃に使われていた鉄筋を利用したのかな?
鉄管じゃないのは、戦前でもやや珍しい部類と思います。太さはどれくらいでしたか?

ねじりマンポの橋梁は「姉橋」ですか!それだけでも素晴らしい成果です。
扁額との整合性が見えてきましたね!姉妹水の隧道と、橋梁は同一河川ですよね?
姉妹水隧道が、姉橋とほぼ同時期に造られた事が予想される発見です。

築造が一連の物となれば、姉橋は勿論のこと姉妹水隧道も土木遺産となるような。
おろろんさん、大発見ですよ。大発見ゆえ廃道3の目玉となりえます。超頑張れ!

   おろろん  2011年2月24日(木) 0:11 [修正]
 鐡棒(棒鋼)の直径は目分量で3cmぐらいだったと思います。4cmは無かったと思いますが鉄筋にしては太すぎるかと。

 ココには南から「兄橋」「姉橋」「弟橋」「妹橋」の4つの橋が架かっていましたが、濁川に架かる兄橋を除く3橋は星が丘川に架かっています。大台町史の記述から判断すると“姉妹水”の橋名は「弟橋」と同定されます。下流の姉橋と上流の妹橋に挟まれているから“姉妹水”?
(兄橋は後年コンクリート橋に架け替えられた上に去年桁が取り替えられました。妹橋は西横に紀勢線が通った時に暗渠化されたようです。)

 不動谷の沢谷隧道は南西に2kほど離れていますが洞内の仕上げと色がよく似てるので同時期ではないかと判断しました。大正1桁モノのコンクリ物件が2つも・・・

   おろろん  2011年2月28日(月) 22:29 [修正]
すいません、廃道3に関する連絡は何処に?
ついでながら、昨日よととさんと津市と亀山市の境界の紀勢線で“卵型”煉瓦橋梁を見つけました。之も珍しいですかね?どうも三重県には規格外の煉瓦物件が多いようで・・・

   マフ巻  2011年3月1日(火) 19:27 [修正]
廃道3もnagajisさんに問い合わせればOKですよ。
ただ、彼はあまりメールをみていないのか?レスポンスは悪いですが…。

   taotawa  2007年11月8日(木) 7:07  HP Mail
[修正]
はじめまして。ずいぶん昔の話ですが、1992年1月に伊尾木軌道跡を辿った時のものです。写真は、障子藪のすぐ南側のあたりです。当時は大井〜障子藪の区間は、ほぼ乗車可能でした(自転車で)。よく探すと距離標もあります。では、失礼。

   マフ巻  2007年11月8日(木) 12:09  HP Mail [修正]
ご訪問、そして貴重な写真をありがとうございます。
障子薮の比較的きれいな状態は初めて見ました。
現在は徒歩以外ならとても厳しい場所がほとんどと聞いております。

私自身は他所のついでに見ただけで、本格的な軌道跡の訪問はしていないのですが、
距離標が残されているのは初めて知りました。撤去される理由もないので
当然、いまでも残っているのでしょうね。貴重な情報ありがとうございました。

   マフ巻  2007年11月8日(木) 12:14  HP Mail [修正]
そう言えば、旧型道路標識で四角いタイプの警笛鳴らせがあったとも聞いております。
今は無くなったそうですが、流石に魚梁瀬や伊尾木の辺りは設備が整っていたようです。

   マフ巻  2007年11月8日(木) 12:26  HP Mail [修正]
HP拝見しました。自転車で凄い行動力です!!
峠つながりということで私も愛媛にある能祖峠と、
鴇田峠を掲載しますね。どちらも遍路道として使われているようです。

他にも峠の写真はいくつかあるのでボチボチ出していきます!

 四国の峠をアップ中  taotawa  2008年1月14日(月) 23:08  HP Mail [修正]
お久しぶりです。11/8にメールをしたtaotawaと申します。トンネルとは直接関係ありませんが、2005年のGWに四国を走った内容をBLOGにアップ中です。よろしかったらご覧ください(大変見難くて申し訳ありませんが・・・)。
現在、中土佐町の七子峠旧国道,大坂遍路道,焼坂峠,大野見峠から本蚯蚓坂,徳島の日和佐周辺の山座峠,よここ峠などアップ済みです。(今後、地芳峠旧道,引割峠,布施ヶ坂 等をアップ予定です)
何かのご参考に・・・。      ではまた。

ちなみに一番印象に残った本蚯蚓坂はここに書いております。
http://taotawa.seesaa.net/article/78500004.html

   マフ巻  2008年1月15日(火) 20:03  HP Mail [修正]
ご紹介ありがとうございます。
興味深く拝見させていただきました。

taotawaさんのHNは峠をもじったものですか?
四国にも沢山の素晴らしい峠たちがありますよね。
私も愛媛の古峠というコーナーを設けておりますので、
少しづつ充実させていこうと思っています!

それと、メール・・・もしかして私、失礼をしているかもしれません。
該当メールの記憶と記録を探してみたんですが見当たらなくて。。。
誤って削除してしまっているかもしれません・・・申し訳ありませんでした!

   九朗  2011年2月26日(土) 14:49 [修正]
古い話を引っ張り出してすみません。
ちょっと比べたくなったので。
ほぼ19年後の姿です。

 教えて下さい  おろろん  2011年2月13日(日) 20:50
[修正]
今晩は。お久しぶりです。
近代土木遺産への登録申請はどのようにすれば良いでしょうか。
また幾つか疑問が有るのですがもし知っていましたら教えていただけますでしょうか。
1.道路橋で「ねじり煉瓦アーチ」を持つ物件は現時点でその存在を確認されている物はありますか?
2.隧道・トンネル状構造物にコンクリートが使われるようになったのは何時頃からでしょうか?
3.鋼製・リベット打ちの欄干の残存例は有りますでしょうか?

   マフ巻  2011年2月14日(月) 8:58 [修正]
>> 土木遺産
私は馬場教授と直接メールでやり取りしましたが、
最近ならnagajisさんに相談したらのってくれると思います。
馬場教授と面識を持たれているようなので、きっと多分。

>> 道路橋ねじり
鉄道のアンダーパスなら捩じれているのは沢山ありますが、
道路と道路(又は水路)の橋梁ということでしょうか?
ORJで紹介されていたような?あったと思います。

>> コンクリ
一部分だけ使われる、とかでも大正10年以降からが主流ですね。
総打となると、現役道路では松坂隧道の大正10年が現存最古です。
ただし、水路隧道に大正3年竣工の円上寺隧道(新潟県)があり、
ブロック製なら鉄道に大正6年竣工の鋸山トンネル(千葉県)があります。
あと古いのは大正14年の百瀬川隧道(滋賀県)が有名かなぁ…。

>> リベット欄干
これは沢山あると思います。戦前は全部リベットですから、
戦時供出を免れた欄干、特に鉄橋の物は全てリベットでしょう。
しかし、そもそも戦時供出を免れるのは難しかったと思うので、
残存していれば貴重な物となるのも間違いないです。
戦時において、既に廃道となっていた場所の鉄橋が狙い目ですな。

思いつくままに書いたので、参考にならんで申し訳ないです。
1,2番はnagajisさんがORJでまとめていたような気がします…が、
ORJの何号だったか見つけられません〜。

 お久し振りです。  よとと  2011年2月14日(月) 18:47 [修正]
 こんばんはです。
 紀伊半島1周旅行いつしはりますか?4月、5月あたりがねらい目?ですが、どないでございましょ。

 それと、おろろんさんの質問ですが、やっぱり現物が存在したからでして、特に道路ねじり橋は土木遺産にも登録のない、超新星?の物件です。写真だけなら「くるまみち」HPのトップにはっつけてます。見てやって下さい。ねじり収集家のサイトでも見当たらない物件なので、ひょっとしたらネット初登場かも、です。ので、是非とも土木遺産に登録させたい次第でありますです。

   マフ巻  2011年2月15日(火) 16:28 [修正]
>> よととさん
見ました!凄い発見ですね…いまだにこのような物件があるとは!
十分に偉大なる再発見となり得ますね。ネジリマンポだけでも珍しいのに、
平成23年になって再発見が出てくること自体が驚異的ですよ。凄い、本当に。
廃道であり、物が残っていますから土木遺産登録は確実に思われます。

あと、リベット打ちの欄干もいい味ですね。これは土木遺産には微妙ですが、
非常に珍しい物であることは間違いないでしょう。戦後の竣工ではないですよね?

紀伊半島、5月がいいかな?一泊二日ですよね?
一日目の集合場所と時間が確定すれば都合させて頂きます。

 紀伊半島オフ  よとと  2011年2月15日(火) 18:42 [修正]
 了解しました。GWは外した方が良いですか?てか私が帰省しないとかもですが。。。
 5月の後半ぐらいの土日で対応させていただきます。できれば三重県の紀勢道終点での待ち合わせをしたいのですが、松山からだととんでもない遠さですがいかに。。。しかも朝早いっす。。。帰りは和歌山港から徳島フェリーという流れになるかと。これらの点、問題ないですか? 

   マフラー巻き  2011年2月15日(火) 19:26 [修正]
OKです!問題ないです、水曜日が絡んでいなければ。
遠くて朝が早い場合でも、決まってから合わせるように考えますね。

徳島〜和歌山フェリーは使いまくっていますから慣れてます。
人事異動がなければ4月下旬でもokです。異動は3月下旬に判明…

   九朗  2011年2月12日(土) 20:28
[修正]
前に話したワイヤー筋コンクリート。

今年の正月に伊尾木に行った人が多いようですね。

   マフ巻  2011年2月15日(火) 20:56 [修正]
ワイヤー筋かぁ…。錆びてる金属を利用するとは廃物利用にもほどがあるw
そこにあった物を使ったんでしょうが、現場合わせの極致だと思います。悪い意味で。

正月の伊尾木に行った人、結構いるんですか?サイト見てみたいですね〜。
ググってみます。

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