「途中に長いトンネル」というのは駒背越隧道のことですか? そちらに伸びているのは土居線です。 久々場山線は川成地区から西へ分岐している車道がそうです。 全線車道化済みのようですが橋台が残っているかもしれませんね。 途中に昭和42年竣工のトンネルがあるようですが元が林鉄物件だったかは分かりません。 川成の分岐地点から終点まで5,920mです。
また後日、別役近辺の地図をアップしますのでお待ちください。 |
九朗 2013年1月8日(火) 8:17
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県境ではなく ttp://www.mapion.co.jp/m/33.682741220824575_134.02407259680643_9/ ですね。 延長とかは合ってるようなんですが・・・・ |
地図できました。 土居線の終点は等高線700mの右側あたりになっていますが手前の道路の勾配を見て、誤差を含めるとこのようになりました。 |
九朗 2013年1月8日(火) 18:53
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いつもありがとうございます。 自分の知らない支線もあって驚きです。 久々場山線ですが、トンネルはありましたか? 台帳にはトンネルや橋の場所なども載っていますか? 車道の途中にトンネルが一本描かれていますが、結構長いのでどうかなと迷っています。 仮に軌道由来のものなら、県内一の延長だったのではないかと。
そういえば、土砂崩れで別役の住人が孤立状態だそう。早い復旧を望みます。 |
林道台帳には隧道 や橋などのように小分けして記録されていませんでした。何メートル進んだ、何円かかった、どのくらい日数がかかった、としか書かれていません。土木・橋梁でひとくくりにされていますので個数さえもわかりません。 位置図は大体二枚組で鉄道時代のものと自動車・牛馬道時代のものがあります。 位置図には橋やトンネルの表記があります(自動車時代の改修された物件のみ。破棄、破壊されたものは載っていません)。 久々場山線のトンネルについてですが、鉄道時代の位置図に書かれている線と自動車時代の線が一致しているようなのでトンネルがある付近を通っていることは間違いありません。 しかし、昭和42年に完成するよりも1年前にその先の林道まで車道化されていますので迂回路があるかもしれません。
川成の分岐点から 昭和40年2鉄-自795m 昭和41年2鉄-自3,405m 昭和42年トンネル完成 残り1,691mは昭和41年以降に車道化
トンネル周りの写真とかお持ちでしょうか? |
九朗 2013年1月9日(水) 22:05
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私は撮っていませんが、こちらで紹介されています。 ttp://cdcdcd.ikaduchi.com/route/kc/kcN/Fkkb/takemine.htm 思っていたより結構短いかも・・・・・・ |
竣工が1951年になっていますね。1942年の改修からもう一度改修されたようですが、ロックシェッドを兼ての延伸も無さそうですし林鉄物件とみて間違いないと思います。 |
マフラー巻き 2013年1月10日(木) 21:33
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素晴らしい!すごい研究が進んでますね。
私が持っている、この地域の資料でいいもんがあったので、 画像の本を紹介しておきます!
魚梁瀬村の教育委員会に掛け合って無理やり購入した本ですが、 今なら普通に販売しているかも?2008年発刊で、こ一万したような記憶が。
お近くなら、魚梁瀬を含む自治体の図書館で閲覧できると思います。 |
ああ、懐かしいですね!僕は発刊してからすぐに購入しました。まだ新米だったときに重宝してましたが本線しか載ってなかったので自分の探索が終わった途端に使わなくなってしまいました(笑) 今、魚梁瀬森林鉄道を保存する会は外部機関に頼んで支線の調査をしているそうです。去年までには支線の詳細地図を作ると言ってましたので、また新しい報告書が出るかもしれませんね。 |
あとこの本に記載されている久木隧道よりも川上にある石積の隧道は牛馬道の隧道、地蔵越線のものだと思われます。当時は見てみたいと思っていたんですが場所が明記されてなかったので断念したのを覚えてます。 今なら大体の場所はわかるしチャレンジしてみたいところですね〜。 |
マフ巻 2013年1月11日(金) 9:22
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さすが、既に読了されていましたか。 このあたりは、一ヶ月くらいキャンプしながら調べてみたい場所です。 素晴らしい遺構が多すぎて、隧道だけに限ってもえらいことに。 |
いまだに埋もれている隧道があると思うとワクワクするんですが全部いけますかねぇ…。若いうちに回れるだけ回って記録したいです。
雁巻山に魚梁瀬林鉄の隧道があるみたいです。土砂が取り除かれ、250mの区間が整備されているようです。 |
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