マフラー巻きさん、はじめまして。 いきなり調査結果のご報告ですが、気を悪くなされませんように。
大峠隧道(旧保内町)のデータですが、行政に聞いても「分からない」と言うことだったので、調べてきました。行った先は、八幡浜市立保内図書館と伊方町立図書館。
まず分かったことですが、大峠隧道の開通は、1952年(昭和27年)です。当時の伊方村(現伊方町湊浦)〜宮内村(現八幡浜市保内町宮内)を結ぶ路線でした。
当時海岸周りの道路が手狭で、それを解消するために建設されたものでした。ただ太平洋戦争後のため予算が少なく、またトンネルを建設した場所が予想以上に地盤が弱かったようです。真ん中から急に小さくなっているのは、工事中に湧水に悩まされ、予算が尽きた結果、あのようなものになってしまったと言うのが事実のようです。 その後約15年ほどのちに中央部分の再拡張の話が持ち上がったようですが、そのときに降って沸いた伊方原発誘致の話で拡張が頓挫。で今のままに至っているようです。
トンネル開通時にはこの大峠隧道が県道三崎八幡浜線のルートになっていたようですが、1958年に名坂隧道開通時に海岸周りの道路を拡幅しております。 その後1962年に海岸周りの道路を2級国道大分大洲線に指定。半年後国道197号線となっております。 1965年には一般国道197号線となり、大峠隧道はほぼ役目は終えています。(ただし、台風・荒天時に海岸周りが通行止めのときにバイパスとして機能はしていたようです)
翌年1966年に佐田岬メロディーラインの調査を開始。68年頂上部分より着工。69年に上記でも書いたように中央部分110mの拡幅工事を予定していたものの、湧水による工事開始が遅れたことにくわえ、伊方原発の誘致が決定。それで完全に工事が暗礁に乗りあがったそうです。 そして72年に伊方原発の設置許可がほぼ出るという段階で、大峠バイパス(現197号)の工事に着手。伊方側は町境まで旧道を拡幅、町境〜大峠トンネルの約600mは新規、トンネル出口から宮内までの約1.5kmも新規という形で着工。 75年10月に大峠バイパスが開通して、海岸周りも国道の役目を終えたようです。 原発の運転開始が77年9月30日ということもあって、地元の人には「伊方原発でできたような道路だ」と言われるのも無理は無いかもしれませんね。
つまり、大峠隧道は国道指定されておりません。ただ国道昇格前の県道三崎八幡浜線ですので、表記は旧県道でいいと思います。(県道番号がふられ始めたのは昭和47年(1972年)のことですので、番号は無しです)
引用文献
「広報ほない」 「保内事典」 「保内町「歴史・文化探検」講座」 「広報伊方町(現広報いかた)」 「佐田岬半島のくらし」 「愛媛県の歴史」(佐田岬年表抜粋)」 「西宇和郡」
これだけの資料を活用しております。
で・・・私、まだ現物を見ていないんで(苦笑)、八幡浜の愛宕山の桜が咲きそろったころに訪れてみます(^^ |